■広報モニター
江島早織さん(贄田)
「地元に帰ってきて」
私は、地元の宇治田原町に引っ越してきて、約3年ほどになります。それまでは、主人の転勤に伴い、関東から九州まで、引っ越しを繰り返す生活でした。
慣れない土地での出産や育児、そしてワンオペ状態の日常は、私にとってとても大変なことばかりで、その辛さから、故郷を思う気持ちが強くなるときもありました。
しかし、ありがたいことに、子どもの幼稚園、小学校の友だち、先生や同じマンションの仲間など、私の周りにはいつも支えてくれる人がいました。そのお陰で、私たち家族は充実した日々を送ることができました。
そして、上の子が中学校へ上がる頃をみて、地元へ帰る決意をしました。
友達との別れは、どんなときも胸が痛み、大好きな地元に帰ってきても孤独な気持ちになったことも何度もありました。
しかし、別れがあれば必ず出会いもあります。
そう思わせ、気づかせてくれたのは、私の大切な2人の子ども達でした。
自然の中でのびのびと心を許して遊ぶ子供たち。なかなか会えなかった祖父母、叔父、叔母、いとこ達に囲まれ嬉しそうな表情を浮かべていました。
そんな子供たちを見て、私も安心し、馴染みある風景とともに、寂しく孤独だった私の心もしだいに癒されていくことを感じました。
3月は、別れの季節です。私は引っ越しを何度も繰り返した経験から、別れというものは決して寂しいだけのものではないんじゃないかと思います。
それは、寂しいと思えるほど幸せだったからです。寂しいと思えるほど、大切な出会いが沢山ありました。
寂しい別れも、また次に新しい風を届けてくれます。
別れてもまた会いたいと思う気持ちを持って過ごせていること。これからも沢山の出会いがあること。
そんなことに思いを馳せながら、これからもこの宇治田原町で過ごせる幸せを感じていきたいと思います。
■広報モニター
植村英紀さん(高尾)
「弘法さんの井戸」
私は、この高尾区で生まれ育ちました。
小学生の時は、小学校までの通学が高低差と距離があるので、何でこんな山の上で生まれたんだろう。と嘆くことも多々ありました。
夏場は、小学校からの帰宅途中にある弘法大師さんの井戸で、渇いた喉を潤すのに、ごくごくと飲んだのを覚えています。
仕事の関係で12年ほど、高尾区を出て京都市内の方に住んでいたのですが、また高尾区に引っ越して帰って来た時、それまであまり気にしたこともなかったのですが、弘法大師さんの井戸水の美味しさを実感しました。
最近は宇治田原をはじめ、遠くは神戸や大阪の方からも沢山の方々が、この弘法大師さんの井戸に水タンクや空のペットボトルを沢山持って水を汲みに並んでいる姿をよく拝見します。
昔は、近隣の方々はたまに井戸水を汲みに来られる程度だったんですが、最近は健康ブームや飲み水に対する関心がいっそう高まった影響だと思われます。人間が生きて行く上でかかせないのが、空気と水です。
確かに、小学校、中学校までは高低差と距離があり、通学は徒歩では困難かもしれませんが、高尾区は空気と水は最高のところだと思います。
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