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シリーズ 福知山の文化財 収蔵資料紹介(65)

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京都府福知山市

■朽木綱貞「百猿」
福知山市 所蔵

福知山藩主朽木家の第六代目、朽木綱貞(くつきつなさだ)(1713~1788年)は木挽町(こびきちょう)狩野家四代目古信(ひさのぶ)に師事し、多数の美術作品を遺しています。
綱貞が描いた絵巻「百猿(ひゃくえん)」(縦33cm×横404cm)にはちょうど百匹の手長猿が描かれています。絵巻の前半部は画面全体をゆったりと使用して少数の猿を描き、後半部にかけて徐々に猿の数を増やしています。絵巻を読み進めることによって、読み手が深山に棲む猿たちの世界へ入り込むことができる画面構成となっています。
さて、描かれている手長猿にどこか見覚えがある人も多いのではないでしょうか。丸い顔の中心に愛らしい小さな目鼻、主線を用いず薄墨と濃墨で毛並みを表現した牧谿(もっけい)(中国の画僧(がそう))風の手長猿は、狩野派や長谷川派をはじめとする多くの日本人画家に描かれています。綱貞の描いた手長猿は吊り上がった逆三角形の目をしており、やんちゃな猿の印象を受けます。
画中には[写真(3)・本紙参照]のように木の幹にぶら下がり水面に手を伸ばす猿が数匹か描かれています。この様相は手長猿を用いた画題の一つ「猿猴即月(えんこうそくげつ)(水面に映る月を本物と勘違いした手長猿が、月を取ろうと手を伸ばして溺死する逸話から、身のほどをわきまえずに無謀な挑戦をして失敗してしまう例え)」の月が消え形骸化(けいがいか)したものと考えられ、綱貞が先人たちの作品に倣(なら)いながら絵を学んでいたことが伺えます。
綱貞は58歳で藩主になるまでの間、箱崎の中屋敷(現東京都中央区)で絵画や文芸を本格的に学びながら生活をしていました。藩主であった期間は11年でしたが、文芸に秀でた才ある人物です。

問合せ:文化・スポーツ振興課
【電話】24-7065【FAX】23-6537

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