■収蔵資料紹介(83)
「明智軍記」
福知山城天守閣 所蔵
『明智軍記』は明智光秀の一代の事績を記した軍記物で全10巻からなります。現存する最古の版本(版木に彫って印刷した書物)が元禄6年(1693)のものであることから、元禄時代のはじめ頃には成立していたと考えられていますが作者は不明です。
福知山城天守閣で所蔵・展示している版本は全10巻を6巻にまとめたもので、元禄15年8月、大阪の書肆(しょし)が発行したものです。
主な内容は、(1)明智氏が土岐氏の一族で、光秀は越前の朝倉氏に仕えた後、信長に仕えたこと、(2)光秀が鉄砲の扱いにすぐれ、諸国遍歴によって軍法、築城、城攻めなどの秘策を身に付けていたことが、後年、信長のもとで功績を顕すことに結びついたこと、(3)光秀が赤井氏を破り丹波一国を制圧したこと、(4)光秀が信長に打ちたたかれ面目を失い、その後、謀反の決意を固め本能寺の変を起こし、秀吉に敗れ、光秀の一族が滅亡したことなどが記されています。
これらの内容には歴史的事実とは異なる点も見られ、史料としては疑わしいところもありますが、『明智軍記』に見られる光秀は軍師・鉄砲名人・城造り名人という印象を受けます。また、光秀の生年を「子年」とし、没年である天正10年(1582)を55歳としている点は興味深い記載でもあります。
『明智軍記』は、『信長公記』『朝倉軍談』『江源武鑑』などの書物を参照して作られたと考えられていますが、「本能寺の変」を信長の非道に求めていることは、光秀の行為に非はないと正当化するものとして捉えられ、主君殺しという汚名から光秀を弁護する作者の史観であるともいえます。
福知山城天守閣では、『明智軍記』を常設展示しています。ぜひ、ご覧ください。
問合せ:文化・スポーツ振興課
【電話】24-7065【FAX】23-6537
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