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シリーズ 福知山の文化財 収蔵資料紹介(79)

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京都府福知山市

■「武智(たけち)光秀の瓦」
福知山城天守閣 所蔵

夜久野町では良質な粘土が取れることから、かつて門垣(かずか)を中心に瓦(夜久野瓦)が製造されていました。いつ頃から製造が始まったのかは詳(つまび)らかではありませんが、今西中の大智寺が寛政六年(1794)に防火対策として夜久野瓦を用いた瓦葺きを寺社奉行に願い出て許可されていることから、少なくとも寛政年間(1789〜1801)には始まっていたと推定されています。
額田の民家では物置改修の際に発見された宝珠文の鬼瓦に「天保十一年(1840) 子十月吉日 門垣邑(かずかむら) 瓦善」の銘が刻まれていました。「瓦善」とは門垣にあった瓦屋の「善蔵」のことで、彼は他の鬼瓦にも名を残しています。
同じ物置内からは「丹州福知山 武智光秀城」と記され、由良川右岸、猪崎方面から眺めた福知山城の大天守・小天守・多門櫓(やぐら)と思われる建物一群と、その上方に神南備山(荒木山)、下方には由良川の流れを思わせる波が描かれた桟瓦(さんがわら)も発見されました。
桟瓦に描かれた絵は大天守が二層であるなど決して忠実な絵ではありませんが、遠近感のある構図は中央に位置する建物一群をひときわ際立たせています。また「武智光秀」とあるのは実名を使用するのを憚(はばか)って「明智」を「武智」としたものであり、人形浄瑠璃の演目である「絵本太功記」(1799年初演)などにも登場します。
この桟瓦の具体的な作成時期や絵の作者は不明ですが、断面が波形をした桟瓦は江戸時代後期に生まれた瓦であることから、それ以降のものと考えられ、当時の福知山城の城主が朽木氏であるなか、武智(明智)光秀としていることは非常に興味深いものです。
「武智光秀の瓦」は現在、福知山城天守閣で展示しています。是非、ご覧ください。

問合せ:文化・スポーツ振興課
【電話】24-7065【FAX】23-6537

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