■日本語の難しさ
綾部市内で働く外国人の方々と話す機会があった。市長就任時から続けている「ふれあい出張市長室」の一環で、今回で157回目。市内で頑張っておられる様々な皆さんと語らう「広聴」の場として重宝している。
本市に登録されている外国人は約700人だが、近年は働き手不足と相俟(ま)ってその数は急増している。国籍別でみるとベトナムが圧倒的に多く、インドネシアやネパール、フィリピンなどアジア出身者が目立つ。この日は、来日して間もない人が多かったこともあり口を揃えて訴えられたのは、日本語の難しさ。総じて日本語は他言語と比し難しいようで、その根源は敬語や曖昧な表現の使い方、また擬態語や助詞などの存在とされている。そして極めつけが、漢字。常用漢字だけでも2000を超える。
その昔、我が息子が米国ワシントンの日本語学校に通っていた頃、漢字を学ぶ授業に辟易していたのを思い出す。日本人が漢字の習得に膨大な時間を費やしている現実から、26文字のアルファベットで済む欧米人との不平等感をボヤいていた。漢字発祥元の中国人が「漢字を日本に輸出したことは申し訳ない」と殊勝(?)にも詫びたというのはジョークだとしても、その本家本元では簡略化した漢字(簡体字)が推奨されているというのも皮肉な話だ。
YES・NOを明確にしない日本人の態度にも困惑するらしい。「よい」とか「大丈夫です」という表現は、肯定とも否定とも使われる。相手を傷付けない配慮で、明確な否定を避ける日本人特有の言い回しだという説もあるが、イントネーションや場面による使い分けは外国人にとって〝謎〞らしい。欧米では移民政策の是非を巡って国を分ける議論となっている。日本では未だそこまでの状況にはないが、この〝一時的市民〞の急増に際し、多文化共生社会の実現が地方都市においても待ったなしなのは確かであろう。
山崎善也(綾部市長)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>