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語り継がれる 舞鶴の民話(2)

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京都府舞鶴市

第四話 博奕岬(ばくちみさき)(瀬崎)
大浦半島の西側にある瀬崎地区には、博奕岬と呼ばれる岬があり、山上にたたずむ灯台が、舞鶴湾に入港する船を見守っています。
かつて、この岬に名前が付いていなかった頃のこと、クジラの大王と竜神がこの岬で出くわしました。自分が一番強いと思っている2人は、自慢の言い合いを始めます。「俺は世界の大海を泳ぎ、深い海でも泳ぐことができる」「私は大空を高く飛べるし、速さも誰にも負けない」。自慢は尽きず、決着がつかなかったため、知恵比べをすることになりました。近くの白と黒の石を使い、囲碁で勝負をすることに。勝負の行方は分かっていませんが、この勝負(博奕)が、この岬を博奕岬と呼ぶようになった由縁です。
今もこの瀬崎海岸には白色の花こう岩や黒色の閃緑(せんりょく)岩・斑レイ岩があります。

第五話 湯(ゆ)の滝(たき)(久田美)
久田美地区の山の方に入っていくと湯の滝と呼ばれる滝があります。今は夏でもひんやりしていますが、昔は温泉が湧き出て村人たちの疲れを癒していたといいます。
村に太郎作というとても欲深い者がいました。お金をためることが人生の生きがいの男です。温泉には皆が毎日のように入浴し、遠方からも訪れる人が多かったため、太郎作は温泉を独り占めし、入りたい人からお金を取れば金もうけができるとたくらみました。近くの土地を次々と買いあげ、あと数日で温泉を独占できるまでになります。
そんなある日、太郎作は馬を連れて温泉に出向き、入浴していた村人を追い払っていきました。その時、馬の脚が温泉につかります。途端に「サッ」と白いものが立ちのぼり、雲になって北西の方角に飛んで行きました。すると不思議なことに今まで湯気を上げていた温泉は、ただの水になってしまいました。湯は城崎温泉(兵庫県)の方に飛んで行ったといわれています。そしていつしか太郎作と馬も村からいなくなったそうです。

第六話 弥仙山(みせんさん)のたけくらべ(池内)
全国に数多くある「山の背比べ」に関する民話が舞鶴にも残っています。池内地区と綾部市にまたがる「弥仙山」とその北方、杉山地区と高浜町にまたがる「青葉山」の背比べです。
弥仙山は青葉山よりも低く、朝日が当たるのも遅い。また、日が陰るのも早く、いくら弥仙山が背伸びをしても青葉山にはかないません。ある日、弥仙山の神様が、村人の中で最も信仰のある太郎兵衛の枕元で「今後弥仙山に登るときは、こっそり小石を持ってきてくれんか」と頼みました。太郎兵衛はこれを他の村人にも伝え、村人たちはいつか弥仙山が青葉山よりも高くなるだろうと、弥仙山に登る際は毎回山の頂に小石を積むことにしました。今も弥仙山の頂上には大小色とりどりの石が積まれています。持って上がった小石に願い事をすれば必ず成就し、もし山の石を持ち帰ると、災難が降りかかるともいわれています。

第七話 小便地蔵(しょうべんじぞう)(八田(はった))
由良川に架かる大きな橋「大川橋」。西市街地から橋を渡るとそこは八田地区で、ここに「小便地蔵」というお地蔵さんがあります。
昔、宮津街道と呼ばれた山沿いの道に、ちょうど良い木陰があったため、旅人はこの辺りでよく休憩をしていました。そして、休憩のついでにこの辺りで立ち小便をするのでした。お地蔵さんは顔を背けることもできず、とても嫌な思いをしていました。困ったお地蔵さんは、立ち小便をやめさせるため、村の人々に「立ち小便は困る」と夢の中でお告げをします。村人はそれから誰言うとなく「小便地蔵さん」とお呼びし、祀(まつ)るようになりました。そしていつの頃からか、お参りをすると寝小便が治るといわれるようになりました。
今は少なくなりましたが、お地蔵さんには願いがかなった親が奉納したよだれかけが、戦前まではたくさんかけられていたそうです。

■市内には民話がいっぱい
今回紹介した民話は
・舞鶴市史・各説編(舞鶴市役所)
・郷土誌 岡田下(岡田下公民館)
・八雲のれきし(八雲公民館)
・郷土史「我が郷土」池内(池内郷土史研究会)
・舞鶴の民話(舞鶴文芸)
などを参考に掲載しています(かっこ内は発行人など)。
市内の民話は他にもたくさんあり、その資料は、東・西図書館に所蔵されています。この機会にご覧になってみては、いかがでしょうか。

担当:広報広聴課

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