■史跡大川内鍋島窯跡調査事業
〜日峯社下窯跡の調査成果(2)〜
江戸時代の焼き物は登窯(のぼりかま)で焼成(しょうせい)(本焼き)されて製品となりますが、この段階では、青色の染付だけの製品となります。色絵製品にするためには、この後に色絵を施し、赤絵窯で再度、焼成して完成します。
登窯は山の斜面に製品を焼く焼成室が連なっている構造となっています。各焼成室の床に製品を並べ、一番下の燃焼室から火を焚(た)きますが、それだけでは火力が足りないので、さらに焼成室ごとに薪を加えて焼成します。焼成中に破損したり、溶着したりした失敗品は、物原(ものはら)に廃棄されます。
日峯社下窯跡(にっぽうしゃしたかまあと)では初期の鍋島焼を焼いていましたが、物原に廃棄されていた鍋島焼などから、鍋島焼を焼成していたのは火力の具合が一番良い、窯中央部分の3室分程度を使い、それ以外の焼成室は一般製品を焼成していたと考えられます。
また窯と物原の間に、他の窯跡では見られない広い空間地があることもわかりました。何のために使われたのかはっきりしていませんが、この窯跡の特殊性を示すものと考えられます。
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