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吉野ヶ里町 文化講演会「SAGA2024国スポを応援しよう!楽しもう!」(1)

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佐賀県吉野ヶ里町

元バレー女子日本代表 迫田さん登壇

町主催の文化講演会が2月にあり、女子バレーボールの元日本代表として活躍した迫田さおりさんがバレーと向き合った半生や、五輪のメダルを賭けた一戦などを振り返って語りました。
その内容を詳しくお伝えします。

■プレッシャーのないバレーで楽しんだ女子高生ライフ
◇バレーボールを始めたきっかけは。
(迫田)2歳上の姉の影響です。でも、楽しかったのは始めて1年目だけで、すぐ嫌いになりました。勝負ごとの厳しさに初めて触れて、負けては怒られ、失敗しては怒られ…。中学生になっても父の反対で辞められず、人生で一番バレーが嫌いな時期を過ごしました。当時は負けることやミスへの恐怖が強くて、勝負を決するような場面でサーブが自分に飛んできても、「ミスしないようにとりあえず入れとけ!」と思うような人間でした。

◇当時は「自分が決めてやる!」とはならなかったんですね。
(迫田)欲が無いんです。目立つより、できるだけミスせずこの場を乗り切ろうというタイプでした。

◇そんな迫田さんですが、高校でもバレーを選び…。
(迫田)何としてでもスポーツ推薦をもらって公立高校に行かないと進学できなかったので(笑)。いろんな学校から話をいただきましたが、プレッシャーを受けたくなかったので、楽しくバレーができる学校を選びました。

◇高校でのバレー生活はいかがでしたか。
(迫田)1日通して練習したことは無いくらい練習量が少なくて、夏休みは午前練習が終わったら天文館に遊びに行ったり女子高生ライフを楽しみました。成績としてはメンバーにも恵まれ、3年生の頃に県2位になりました。

◇高校3年の2005年には岡山国体に県選抜として出場、入賞しました。出場後には、実業団からのスカウトも増えましたか。
(迫田)見学に来たスカウトの方が親切で、練習メニューを考えて指導してくれたんですが、高校との差を感じて「こんなにも景色が違うのか」とワクワクしました。周囲の勧めもあり東レに決め、両親も「行っておいで」と背中を押してくれました。それなのに、出発前日、寂しさの余り母に「行きたくない」と漏らしてしまいました。母を不安にさせてしまったことは未だに後悔していますね。

■「1人にならないで」心を変えた先輩の言葉
◇18歳で親元を離れ、2006年に東レアローズに入団しました。
(迫田)最初はすごく泣いていました。周りの選手と温度差が激しくて「来るべきじゃなかった」と感じたし、家族も恋しくて。でも、乗り越えられたのは先輩方のおかげでした。練習では容赦ないんですが、一歩コートを出ると優しい。サプライズで手作りケーキを準備して「頑張ろう」と励まされた時には、「なんて優しい先輩方なんだ!コートの中では鬼なのに」と感激しました(笑)。

◇当時、東レには荒木絵里香選手や木村沙織選手などが在籍していましたが、関わりは。
(迫田)私は心を閉ざしがちで、当時は自ら1人になることが多かったんです。そんな時、絵里香さんが「りお(迫田さおりのコートネーム)。1人にしないし、させないよ。だから1人になろうとしないで」と言ってくれました。私がどんなにチームに迷惑かけても「1人にしない」と言ってくれる先輩の存在が、私の心を変えました。技術は一朝一夕で身につかないけど、意識を変えるには1秒あればいい。自分の勇気で変えられる。そんなアドバイスを先輩方が贈ってくれました。

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