■ユニホームを着られなかった人たちの思いを背負って
◇2010年からは全日本の登録メンバーになり、2012年のロンドン五輪では、3位決定戦となる韓国戦に先発出場しました。
(迫田)それまではほとんどベンチにいたので、私だけ元気で(笑)。メダルを賭けた大一番に「私…?」と正直疑問でしたが、ユニホームを着たくても着られなかった人たちの思いや国を背負ってユニホームに袖を通すからには、仲間に恥じない戦いをして一緒にメダルを取るんだと決意してコートに立ちました。
◇試合はセットカウント2対0で優勢に立ち、3セット目の終盤。24対21、あと1点でメダル確定というシーンで、迫田さんへボールが上がります。
(迫田)それまでチームを引っ張ってきた選手が最後を飾るべきだと思っていましたが、レフト側前衛の私にボールが来たので、「絶対に決める」という気持ちで思い切って打ちました。
◇当時は日本中が湧きましたが、帰国された時はどうでしたか?
(迫田)当時はSNSが盛んになる前で日本の状況がよく分からず、帰国したら想像を遥かに上回る盛り上がりでした。東京の銀座でパレードもあり、これだけ大勢の方がエネルギーを送ってくださっていたと思うと、スポーツの力ってすごいと感じたし、一生分の「ありがとう」をもらった気分でした。
■応援する人が心から楽しめば選手に伝わる
◇迫田さんにとって、バレーの魅力とは。
(迫田)バレーには、1人では1点も取れないということを教えてもらいました。周囲に助けてもらってこそ、いろんなことに挑戦できたと感じています。それに結果だけではないということや、仲間に出会えることも教わりましたね。
◇昨年は迫田さんの故郷・鹿児島県で国体があり、応援リポーターとして活躍されました。今秋のSAGA2024国スポに向けて、出場選手や応援する地域の皆さんへアドバイスを。
(迫田)リポーターを務めながら、選手時代にその地域の良さや人とふれあえたら、もっと国体を楽しめたんじゃないかと改めて感じました。選手は緊張感でピリピリしていると思いますが、オフの時間もしっかり地域の魅力を楽しんでほしいですね。応援する佐賀県の方は、ぜひ皆さん自身が一番楽しんでください。心から楽しめば、それは選手にも伝わります。選手は皆さんの笑顔に触れるだけでもリラックスできますから。
聞き手…フリーアナウンサー 増田さおり
≪プロフィール≫
迫田さおり(Saori Sakoda)
1987年鹿児島県生まれ。小学3年生でバレーボールを始め、高校卒業後の2006年に東レアローズに入団。2010年から日本代表メンバーとして世界選手権やワールド杯、ロンドン・リオデジャネイロ五輪などで活躍。2017年に現役を引退し、現在はスポーツ文化人としてバレーボールの主要大会の解説やメディア出演、トークショー・講演会等、幅広く活動している。
迫田さんに(Q)and(A)
(Q)これから夢を叶えようとする子どもたちに声を掛けるなら?
(A)夢や目標を持っている人ってただそれだけですごいと思います。続けることが一番大切で一番難しいと思うので、「その夢に向かって努力を続けていこう」と言いたいです。
(Q)前向きな気持ちでバレーと向き合えるようになったきっかけは。
(A)ロンドン五輪後に肩をけがして、効率のいい体の使い方を追求し始めたことですね。そのおかげで視野が広がったし、プレーに目標も生まれて、バレーに対する考え方が変わるきっかけになりました。
問合せ:社会教育課社会教育係
【電話】0952-37-0341
<この記事についてアンケートにご協力ください。>