■「唐津の記念物」(21)
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~
◇獅子城跡(ししがしじょうあと)(佐賀県指定史跡)
厳木町岩屋の標高228mの白山(しろやま)にある中近世の城跡で、佐賀県史跡に指定されています。
松浦党の源(みなもとの)披(ひらく)が治承(じしょう)~文治(ぶんじ)年間(1177~90年)に築城したと伝えられ、息子の源(みなもとの)持(たもつ)が平戸に移ったため廃城になったと言われていますが、この頃の遺構や遺物は確認されていません。その後、天文(てんぶん)年間(1532~55年)頃に松浦党の波多(はた)氏一門である鶴田(つるた)前(すすむ)が佐賀地域に対する最前線の拠点として獅子城を再興します。
戦国大名である大分の大友(おおとも)氏や佐賀の龍造寺(りゅうぞうじ)氏など勢力の境界にあり、天正(てんしょう)元(1573)年から翌天正2(1574)年にかけて龍造寺隆信(たかのぶ)から攻撃を受け、また同4(1576)年にも獅子城をめぐる攻防がありました。この頃に鶴田前が亡くなり、獅子城主は鶴田(つるた)賢(かしこ)が継いでいるようですが、松浦党の盟主波多氏が豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)から改易(かいえき)されたため波多氏の家臣であった鶴田賢も流浪(るろう)の身となり、獅子城は一旦廃城となったようです。
波多氏の改易後、波多氏の所領は寺沢(てらざわ)広高(ひろたか)がそのまま受け継ぎますが、その際に獅子城は現在も見られる石垣造りの城へと大きく造り変えられました。この時も佐賀地域を意識しての改修と考えられます。
このように獅子城は佐賀地域との最前線にあたることからその時々の築城技術が投入され要害(ようがい)化し、重要な防衛拠点としての役割が与えられました。
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