「唐津の記念物」(26)
~唐津の史跡・名勝・天然記念物~
岸岳城跡(きしたけじょうあと)(佐賀県史跡)
岸岳城は、北波多と相知町にまたがる岸岳(標高315m)の山頂から山麓(さんろく)にかけて広がる中世に築かれた山城で、上松浦党(かみまつらとう)の盟主的な地位にあった波多(はた)氏の本城でした。城の規模は中世山城としては佐賀県下最大級で、岸岳の急峻(きゅうしゅん)な地形を利用して築かれていました。
波多氏は豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州平定(へいてい)以後、領地の安堵(あんど)を受けていましたが、天正(てんしょう)20(1592)年に始まる文禄(ぶんろく)の役の際に改易(かいえき)処分を受け、唐津の地には寺澤(てらざわ)氏が入部することとなりました。寺澤氏は関ヶ原合戦の際に西軍であった鍋島(なべしま)氏に相対するために、城の石垣を築いて大規模な改修を行い、唐津城の支城として生まれ変わらせました。城はその後、17世紀後半代には廃城となったようですが、その後も城番(じょうばん)が置かれ、唐津藩の管理下に置かれていました。
岸岳城跡は、岸岳城が佐賀県下最大級の中世山城であっただけでなく、関ヶ原合戦後も佐賀県北部地域に戦乱の火種がくすぶっていたことを示す重要な証なのです。
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