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紫式部(むらさきしきぶ)・和泉式部(いずみしきぶ)・小式部(こしきぶ)の物語 挿絵(7)

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佐賀県多久市

多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集

和泉式部は宮仕えすることになり、十七歳の春の頃に懐妊し、とても上品で美しい姫を産みました。しかし、物語は次のように意外な話をしています。
和泉式部は「乳母(うば(めのと))をつけて育てたいが、殿上人(てんじょうびと)に仕える身でありながら、いつの間にか子持ちになったとなれば、それで片付くわけではない。誰かに拾ってもらおう」と思いました。金と銀で覆輪(ふくりん)を付けた手箱を作り、蓋(ふた)の上に蒔絵(まきえ)で和歌を書かせ、様々な色の衣を敷き、その子を入れました。従者に抱かせ、東寺の門へ向かい、唐居敷(からいしき)の上に置いて帰りました。思い切りましたが、子どもを偲(しの)び夜昼なく涙を流しました。とても気の毒なことでした。
ちょうどこの時、河内の国から姥(おうな)と翁(おきな)が上京し、清水寺に参詣(さんけい)して籠(こも)り「自分たち亡き後を供養する子を授けてください」と祈ったのですが、御利益はなく寺を出ました。そして、東寺にも参り祈願をしました。寺の回り角を過ぎて少し休んだところ、美しい箱を見付けました。取り上げてみると、とても良い香りがし、蓋を開けると、玉を敷き詰めたような姫がいました。不思議に思い、辺(あた)りの人に尋ねてみましたが、誰もが知らないというのです。[挿絵7]姥と翁は「これは清水寺の御計(おはか)らいに違いない」と嬉しく思い、抱きしめて自宅へ帰り、大切に育てられたと、物語は記しています。

※原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。

多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)

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