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紫式部(むらさきしきぶ)・和泉式部(いずみしきぶ)・小式部(こしきぶ)の物語 挿絵(8)

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佐賀県多久市

多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集

東寺の門で拾われた和泉式部の娘が十一歳になった頃、新たな物語が始まります。
和泉式部は、子の行く末を尋ねてみようと思い立ち、夫に暇(いとま)を請(こ)い、大和の長谷寺(はせでら)に行き、乳母(めのと(うば))の冷泉一人を連れて籠(こも)りました。何か御告げがあったのか、尼の姿で長谷寺を出て、河内の奥山へ迷い込みました。運よく山深き庵に辿(たど)り着くことができ、一夜の宿を借りたいと事情を話すと、姥(うば(おうな))と翁(おきな)も思いやり、柴の編戸(あみど)を開き呼び入れました。
慣れぬ旅で、和泉式部は〔やまざとは ねられざりけり 夜もすがら まつふく風に おどろかされて〕(山里では 寝られなかったことだ 夜通し松を吹く風で 目を覚まされて)と詠(よ)みました。翁と姥はこれを聞き、娘に返歌をするよう促します。すると、娘は「和歌を聞いて可笑(おか)しく滑稽(こっけい)に思い、心の中で笑っていたのです」と答えました。式部は不思議に思い「返歌を承りましょう」と言うと、幼い声で〔やまざとに ねぬとはいかに ぬればこそ まつふくかぜも おどろかすらん〕(山里では 寝られないとはどういうことですか 山里でも寝られるからこそ 松吹く風も あなたの目を覚まさせるのでしょうに)と答えました。和泉式部は道理があると納得し、是非、その幼子に会いたいと申し出ます。見苦しい着物ですからと老夫婦は断りますが、度々の要望に童を連れて出てきました。[挿絵8]

※原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。

多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)

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