最終回「生き仏」
佐賀市慶誾寺
本紙掲載の写真は芳岩妙春の逆修(ぎゃくしゅ)塔です。芳岩は多久領の祖となる龍造寺長信の妻です。石塔の下部に、「奉漸讀大乗妙典(だいじょうみょうてん)一千部以伸供養…逆修芳岩妙春大姉壽位干時慶長十乙巳歳八月彼岸吉日」と刻まれています。また『水江事略(みずがえ(すいこう)じりゃく)』によれば、慶長十(1605)年「芳岩夫人岩松軒(長信法名)ニ託シテ妙典一千部ヲ修讀セラレ石塔ヲ建ラル且夫婦ノ御位牌(いはい)ヲ當院ニ安置セラル」とあります。この記述にある石塔が、慶誾寺に所在する逆修塔と考えられます。
石塔上部に四角の枠を設け、像が彫り込まれ、線刻(せんこく)が施されています。丸い頭部の周りに頭光(ずこう)、胸に吉祥(きっしょう)や功徳を表わす卍、胸の下に祈願や供養を表わす合掌、両手の下に持物(じもつ)、両腕の下に蓮華(れんげ)が刻まれています。供養塔に刻まれる像は、一般に如来・菩薩(ぼさつ)や(被)供養者と考えられますが、この線刻画は、逆修の意味や図像から、芳岩その人ではないかと推定しています。
※逆修は、生前に自分の死後の冥福を祈る、あるいは年少者の冥福を年長者が祈るなどの仏事を指し、今回の資料は前者です
多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)
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