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紫式部(むらさきしきぶ)・和泉式部(いずみしきぶ )・小式部(こしきぶ)の物語 挿絵(1)

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佐賀県多久市

多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集

紫式部は平安時代中頃の作家・歌人で、幼少のころから漢文にも親しみ、『源氏物語』『紫式部日記』などを残し、「小倉百人一首」にも和歌があります。紫式部は藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚し娘を産みましたが、夫はまもなく亡くなりました。その後、『源氏物語』を書き始め、藤原道長に召されて一条天皇中宮の藤原彰子(ふじわらのしょうし(あきこ))に仕えました。『小式部』の物語は、成人となった紫式部の登場で始まります。
紫式部の評判が朝廷にも届き、召し出されました[挿絵1]。紫式部の容姿については「楊柳が風になびくようです。翡翠(ひすい)の簪(かんざし)は、蝉の羽が透き通るように見えます。乱れてかかる鬢(びん)の髪から透けて見える顔の気品は、薄雲に月が透き通るようです。唇は芙蓉の花のようです。姿は庭園の中に見る花の夕映えのごとく、咲きこぼれた梅や桜のようです」。心根や修業については「奥深く健気で品よく、琴・琵琶の技量は並ぶ者がありません。歌の道は昔の衣通姫(そとおりひめ)の跡を継ぎ、伊勢・小町のようです。更に、仏法の道にも詳しく、竜女(りゅうにょ(じょ))の跡を訪ね、法華経を怠らず不断にお読みになっています」と、物語は記しています。
この場面の後に「ある夜に不思議な夢を見て懐妊し、玉を敷き詰めたような美しい姫を生みました」と、物語は続いていきます。

原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。

多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)

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