文字サイズ
自治体の皆さまへ

紫式部(むらさきしきぶ)・和泉式部(いずみしきぶ)・小式部(こしきぶ)の物語 挿絵(2)

25/41

佐賀県多久市

多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集

紫式部が産んだ子は六歳になりました。紫式部は子に、「歌の道をよく読み習いなさい」「伊勢・小町が詠んだ歌を見て好(この)めば上達しますよ」と教えます。姫は〔母や母 粉飲めば 歌の詠まるるか〕と詠みます。母親が言った「好め」を「粉飲(この)め」と勘違いしたのですが、そのあどけなさに皆笑顔になった、と物語は記しています。
ところで、紫式部は「宿願(しゅくがん)の事があるので石山寺の観音に参ります。継母に嫌われないようにしなさい」と言って、石山寺に籠(こも)りました。その間の出来事です。
伊勢参りをした人が、お土産に立派な焼き物の小鍋二つを、継母の子二人にあげました。姫にはなかったので、姫は欲しくて泣いていました。その折、竹林に鶯(うぐいす)が鳴くのを聞き〔鶯の などさは鳴くぞ ちや欲しき小鍋や欲しき 母や恋しき〕(鶯はどうしてそれほど鳴くのか 乳が欲しいのか 小鍋が欲しいのか それとも母が恋しいのか)と詠みました。姫の歌に心を動かされた継母は可哀想に思い、我が子に与えた一つをもらい、姫に与えました。[挿絵2]
紫式部は石山寺で、源氏物語六十帖(じょう)を大般若経(だいはんにゃきょう)の裏に書きました。そして、絵師を呼んで自分の姿を絵に描かせ、庵室(あんしつ)を造り、この絵を本尊として、菩提(ぼだい)を弔(とむら)ってくださいと言い、所領を石山寺に寄進して戻りました。この後、姫には試練が待ち受けています。

※原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。

多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU