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紫式部(むらさきしきぶ)・和泉式部(いずみしきぶ)・小式部(こしきぶ)の物語 挿絵(3)

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佐賀県多久市

多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集

紫式部の子は美しく成長しましたが、十三歳の春に突然病気になり、陰陽師(おんようじ)が占うと、邪気に取り憑(つ)かれ、祈祷(きとう)も叶(かな)わないと言って、帰ってしまいました。住吉大社に、命に替えて救ってくださいと、母は祈願しました。しかし、最期の時が来たと親子で悲嘆にくれます。卯月のことで、不如帰(ほととぎす)の声が聞こえると、姫は息の下で〔ホトトギス 死出(しで)の山路の しるべせよ 親に先立つ 道を知らねば〕(ホトトギスよ 死出の山路の道案内をしなさい 私は親に先立ってあの世へ行くので 冥土(めいど)への道を知りませんから)と詠みました。
ちょうどこの時、上から恐ろしい程の音がして、角が五つ顔が三つある赤鬼が天井を打ち破り、白玉のような涙を流しながら大声で言うのです。「可哀想だが、定業(じょうごう)にも限りがあり、冥途に連れて行こうとするところ、姫の歌を気の毒に思われて憐れみ、十王も神々もこの度はお許しになるとのことだ。この秋頃には内裏(だいり)からお召しがあり、帝の恵みにあずかるだろう、それでは我は帰るぞ」と声をかけ、破風(はふ)から天へ上がりました。[挿絵3]
そうしているうちに、病気は治り体調は回復しました。このことを天皇もお聞きになられ、特別な御衣(おんきぬ)と御袴(おんはかま)に加え掛け帯、玉鬘(たまかづら)、御守り、綾(あや)の沓(くつ)、錦(にしき)の裳(も)も賜りました。そして名を和泉式部と呼ばれた、と物語は記しています。

※原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。

多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)

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