多久家資料『小しきふ(小式部)』を編集
和泉式部の評価が高まっていた頃の話で、物語は次のように記しています。
鬼(酒呑童子(しゅてんどうじ))が稚児(ちご)に化けて出没し、夜毎に人を食らい、都は騒然としていました。そこで、鬼を討つべく朝廷から勅(ちょく)が、源頼光(みなもとのらいこう(よりみつ))と藤原保昌(ふじわらのやすまさ)の将軍に下されました。鬼の居城は、京都西方の愛宕山と老の山(坂)の二箇所にあったそうです。源頼光は渡辺綱(わたなべのつな)など武勇に優れた者を率い、藤原保昌は武者一人を連れて出発しました。酒好きな鬼ということで、竹筒に酒を入れ、山伏の姿をまねて、山中を三日三晩探し求め、遂に鬼の居城に到着しました。そこに美しい稚児の姿で鬼が帰ってきました。互いに酒を進め、稚児も将軍も酔い伏せてしまいました。藤原保昌が目を覚ますと、稚児は、頭が八つ足が九つ眼が十六の赤鬼となっていたのです。赤鬼は火焔(かえん)のような息を吹きかけ、剣を抜き、将軍らを捕まえようとしました。将軍も神通剣髭切(じんつうけんひげきり)で応戦すると、鬼の剣は折れ、ついに鬼の首を打ち取りました。これも住吉明神の御加護のおかげです。都に上り、鬼の首を天皇の御目にかけました。源頼光には多くの所領を配分されました。[挿絵4]藤原保昌には「何でも望め」との宣旨があり、「畏(おそ)れながら和泉式部をお与えください」と申し上げると、天皇もこれを認められ、二人は夫婦となりました。
※原本の挿絵は色絵になっています。郷土資料館に写真を掲示していますので、お立ち寄りの際にご覧ください。
多久市郷土資料館長 藤井伸幸(ふじいのぶゆき)
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