市史を執筆する各分野の専門員が市内を調査しています。ご理解とご協力をお願いします。
◆嬉野氏の居城 湯野田城
嬉野町下宿の西公園は、嬉野氏の本城と伝わる湯野田城跡になります。また下宿の西端には、その他にも湯野田城の前身と考えられる湯野田古城跡(字大久保)、それらの支城と伝わる烏帽子城跡(字烏帽子岩)があります。湯野田城がいつ頃築城されたかは、はっきりしません。嬉野家文書には嬉野通久が湯野田城の城主であると記載されています。応永11年(1404)の古文書に嬉野氏の城の記載が出てきますが、湯野田古城跡か烏帽子城跡を指す可能性もあります。瑞光寺にある「嬉野家各尊霊」として永禄9年(1566)8月22日命日の「松月慶厳大禅門」位牌が残されていることから遅くても16世紀中頃には嬉野氏が湯野田城周辺を本拠地にしていたと考えられます。
参考文献:嬉野市史中世編執筆者宮武正登「市内の中世城館の個別解説」
問合せ:嬉野市史編纂室(嬉野市歴史民俗資料館2階)
【電話・FAX】0954-68-0171
<この記事についてアンケートにご協力ください。>