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おぎの歴史探検隊

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佐賀県小城市

■唐津線開通120年〈その1〉
小城郷土史研究会/著

唐津線(久保田~西唐津42.5km)は、令和5年に120周年を迎えました。小城市立歴史資料館でのテーマ展「唐津線開通120年」の開催、ゆめぷらっと小城での講演会、前年には小城市観光協会で「祝!!小城駅120周年小城駅記念乗車証」を配るなどの記念行事が行われました。
唐津線の歴史を簡単に振り返ると、唐津炭田などから産出される石炭を唐津港に輸送する目的で鉄道を敷設するために唐津興業鉄道株式会社が設立されました。その後、唐津鉄道株式会社と名称を変更し、明治33(1900年)年には資金難から九州鉄道株式会社に吸収され、明治36年に唐津線全線が開通しました。明治40年には九州鉄道株式会社が国有化され官設鉄道(日本国有鉄道)となりました。昭和62年に国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)が継承され現在にいたっています。
佐賀新聞の明治29年4月19日付記事に「唐津興業鉄道株式会社登記公告として会社の目的に佐賀県東松浦郡唐津村より同県小城郡牛津町へ到る鉄道を布設し、運輸の業を営むを以て目的とす」との記載があります。建設に際し問題が生じ、莇原(あざみばる)駅(現多久駅)と九州鉄道との接続駅をどこにするかで誘致運動が始まりました。佐賀駅・久保田駅・牛津駅・北方駅の4案が上がり、その後原駅から小城を通り久保田駅に接続することに決定し、小城町に工事建設出張所を置くこととなりました。そこでまた問題が持ち上がりました。それは小城駅の位置を現在地(三日月町甘木)に予定していましたが、三日月村の有志から現在地より東南約1km久保田駅寄り(三日月町久米ヶ里)の要望が出され、小城町と誘致問題が起こりました。小城駅~久保田駅間は小城・三日月住民の苦情と土地代が高かったため難航し、原駅から牛津駅接続案が再浮上して大いに揉めましたが、小城郡長が斡旋に入り両町村とも協力するとのことで決着し旧案に戻りました。このような経過をたどり明治36年12月14日に唐津線全線が開通することとなりました。(続)

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