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最終号ドイツReporter

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佐賀県有田町

有田町国際交流員のヴィンセント・パウル・ホイザさんが、8月5日で5年間の任期を終えられます。「ドイツReporter最終号」をお届けします。

■感謝の気持ちでいっぱいです!
皆さん、突然ですが、実は今回が私の最後のコラムになります。5年前に有田町で国際交流員として働くことが決まるまでは、磁器と陶器の違いもわかりませんでした。けれども、有田町で生活することがとても楽しみで、ドイツを出発する前に有田町と有田焼について、精一杯調べました。ところが、いくら調べても実際にその場所に住み、自分で見たり聞いたり、手でさわったりするという体験に勝るものはないことを実感しました。
もともと私は、歴代の国際交流員のように、最長3年間有田町で暮らす予定でしたが、その間に新型コロナウイルスが流行しました。そのため、次の国際交流員がいつ日本に来ることができるかわからなくなり、その分長く有田町に住むことになりました。
いつも私のコラムを読んでくれる方の中には、私が有田町役場でどんな仕事をしているのか知らない方も少なくないでしょう。有田町とドイツのマイセン市は焼き物のつながりをきっかけとした姉妹都市関係にあります。
新型コロナウイルスが流行するまでは姉妹都市交流が活発で、青少年交流やお互いの代表者による使節団の訪問などがありました。私はその活動に携わって、翻訳、通訳、町の案内などをしました。そのほか、保育園や学校などで、子どもたちにドイツという国にふれてもらいました。ドイツ語はもちろんですが、英語を使う業務もたくさんありました。町民を対象とした英会話教室、観光ガイド向けの英語講座、外国人のための有田英語ツアー、外国籍の方が来町する際の通訳など、多岐にわたる業務に携わっていました。外国と日本をつなぐ架け橋の役割は、私を大きく成長させる有意義な経験となりました。
仕事以外でもさまざまなことを経験し、たくさんの思い出ができました。ドイツでは毎日焼き物の食器を使っていたのに、知識も関心もあまり持っていませんでした。しかし、有田に来てから、いろいろな窯元と様式を比べながら、自分の好きなデザインがだんだん分かってきました。そして初めて陶器市に行ったときに、一人暮らしで必要な量の食器をはるかに超える爆買いをしてしまいました。有田町に住んでいる間に、2回ドイツへ里帰りしましたが、家族や友達へのお土産はだいたい有田焼にしました。
陶器市以外にも、有田町ならではのおもしろいイベントに参加しました。1年目は石場相撲大会に出場し、全試合負けてしまい、おまけに足を捻挫してしまったことは思い出に残っています。皿山祭りにも参加し、法被姿で皿踊りをしました。ちなみに皿踊りは、姉妹都市交流40周年記念事業の際に、町民の使節団でマイセン市を訪れたときにも披露しました。他にもたくさんの素晴らしい経験ができましたが、全てをここに書くと、ページに収まらなくなるのでここまでにしたいと思います。
そして最後に、この5年間で知り合った方、お世話になった方に心から感謝しています。有田町での生活が最高の思い出になったのは、皆さまのおかげです。私は今後も日本に住み続けますので、定期的に有田町に遊びに帰って来るつもりです。
また会いましょう!Dankeschön!
そいぎんたー!

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