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とす新風土記〜「鳥栖市誌」を読む〜第109回

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佐賀県鳥栖市

■吉野ヶ里遺跡の時代の鳥栖(3)

吉野ヶ里遺跡の最盛期の弥生時代後期頃(1850年ほど前)、鳥栖地域にあったクニの中心は藤木遺跡(藤木町)と考えられていますが、前回紹介した石蓋土壙墓(いしぶたどこうぼ)以外に、この集落内では墓地が見つかっていません。
ここで暮らしていた人々が葬られた場所は、藤木遺跡の中心から西に800メートルほどの、鳥栖小学校近くの高台にある内畑遺跡(元町)にあったと考えられています。この遺跡の調査はほとんど進んでいませんが、多数の甕棺墓(かめかんぼ)が存在していたとみられます。
それでも特筆される出土品として、戦後間もないころに偶然発見された弥生時代後期前半(1950年ほど前)の甕棺墓から採集されたガラス製の勾玉2点とガラス製の小玉約2000点からなる首飾り、平成13年(2001年)の発掘調査で出土した甕棺墓に副葬されていた水晶製丸玉2点とガラス製小玉16点からなる指輪と外装付鉄製刀子(がいそうつきてつせいとうす)1点です。
弥生時代後期前半に出現する多量のガラス製小玉の副葬例は県内では数例しかなく、この甕棺墓に葬られていた人(副葬品の内容からおそらく女性)は社会的に高い階層に属していたと考えられます。
これらの副葬品は、吉野ヶ里遺跡の時代の墳墓における副葬習俗や装飾、装身具の組合せを具体的に示す数少ない例であるとともに、被葬者の社会的地位や玉類の生産と流通の実態を解明するうえで大変価値が高いものであることから、今年5月に県重要文化財に指定されました。
(鳥栖市誌第2巻第2編第3章第2節より)

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