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鳥栖市市制施行70周年記念特集『鳥栖市の歩み』(3)

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佐賀県鳥栖市

■1974(昭和49年)〜1983(昭和58年)
昭和29年4月1日に、鳥栖町、田代町、基里村、麓村、旭村の2町3村が合併して鳥栖市が発足。令和6年4月1日で市制施行70周年を迎えました。『市報とす』では、数回に分けて、当時の広報紙で鳥栖市の歩みを振り返ります。

◇第279号[昭和49年6月18日発行]
保護者の要望で、1974(昭和49)年6月に鳥栖北小学校で始められた、放課後児童クラブ『なかよしかい』。翌年には鳥栖小学校校区にも開設されました。

◇第324号[昭和51年5月1日発行]
1976(昭和51)年4月に開館した市民体育館。「まずは先輩市民に」との原市長(当時)の考えで、同館使用第1号として市老人福祉大会が開催され、約1600人のお年寄りが参集しました。

◇第337号[昭和51年11月15日発行]
1976(昭和51)年10月24日〜29日に佐賀県で開催された『第回国民体育大会(若楠国体)』の秋季大会の様子。各競技で、地元の大声援を受けた鳥栖市出身選手の活躍がみられました。また、市内ではバレーボール(市民体育館)と馬術(佐賀競馬場)が開催され、全国から選手や監督など約1500人が参加。市内の宿泊施設だけでは収容できず、民泊引き受け家庭として263世帯が協力しました。また、食事作りや駐車場整備、会場美化などに多くの市民が協力し、大会を盛り上げました。
同年11月6日・7日には、佐賀市で『第回全国身体障害者スポーツ大会』も開催され、鳥栖市から3選手が出場。卓球やアーチェリーなどで健闘しました。

◇第338号[昭和51年12月1日発行]

◇第354号[昭和52年8月1日発行]
古賀町に新設する小学校の案内。校名は公募し、『古賀』『田代西』など29種が寄せられましたが「地名は避け、こどもの伸びゆく力を表すもの」という基準から、鳥栖北小6年の中島悠子さんが考えた『若葉』に決定されました。若葉小は1978(昭和53)年4月に開校し、翌年1月には校歌の歌詞も公募。市内外から編が集まり、同校6年の西村伸広さんの歌詞が採用され、元教諭の古賀哲さんが補作、陶山聰(すやまさとし)さんが作曲して完成しました。

◇第415号[昭和55年2月15日発行]
昭和54年11月に柚比町の安永田遺跡から出土した銅鐸鋳型の写真。弥生時代の国内の文化分布圏の定説をくつがえす貴重な資料として、教科書を書き換える発見とされ、全国から注目を集めました。

◇第445号[昭和56年5月15日発行]
1981(昭和56)年、久光製薬女子バレーボール部(現:久光スプリングス)が、Vリーグの前身である日本リーグ入りを決定し、同年4月26日に鳥栖商工会館で祝賀会を開催。当時の選手は全員が九州出身者でした。

◇第421号[昭和55年5月16日発行]
1980(昭和55)年4月に完成した市民球場。記念行事の一環でイースタンリーグ『巨人対西武』戦が開催され、市内初開催のプロ野球公式戦に、約3,500人が駆け付けました。
1982(昭和57)年7月には、市民文化会館が開館。こけら落とし以降、市内と三養基・神埼郡の小・中学校、高校が参加した『学校音楽祭』や、市文化連盟主催で数百人の市民が出演した『市民芸能祭』など、ほぼ毎日多彩な催しが開催されました。

◇第472号(市民文化会館落成記念特集号[昭和57年6月23日発行]

■この時期の主なできごと

■市立図書館特別企画『おぼえてますか あのころの本』
当時話題だった本や出版された本を市立図書館に集めて展示します。7月は、1974年から1983年です。

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