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鳥栖市市制施行70周年記念特集『鳥栖市の歩み』(5)

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佐賀県鳥栖市

■1994(平成6年)〜2003(平成15年)
昭和29年4月1日に、鳥栖町、田代町、基里村、麓村、旭村の2町3村が合併して鳥栖市が発足。令和6年4月1日で市制施行70周年を迎えました。『市報とす』では、数回に分けて、当時の広報紙で鳥栖市の歩みを振り返ります。

◇第773号[平成7年1月1日発行]
地区社会福祉協議会(地区社協)の設立総会の様子。市社会福祉協議会の『ふれあいのまちづくり事業』の一環で設立された地区社協は、地域住民のネットワークで、地域の実情に即した福祉活動を進めていこうというもので、まず1994(平成6)年12月に田代地区と基里地区で設立。その後、他の地区にも設立され、高齢者の見守り活動など、住民同士による支え合いが行われてきました。

◇第809号[平成8年7月1日発行]
鳥栖スタジアム(現在の駅前不動産スタジアム)のこけら落としの様子。鳥栖スタジアムは、1994(平成6)年12月に建設工事が始まり、1996(平成8)年6月16日にオープンしました。こけら落としではサッカー(JFL)の試合が行われ、以降はラグビーやグラウンドゴルフなどのスポーツのほか、野外映写会『キネマDEスタジアム』、人前結婚式『スタジアムウエディング』、音楽祭『ミレニアム・GALA・クラシカ』など、さまざまな分野のイベントが開催されました。

◇第825号[平成9年3月1日発行]
鳥栖フューチャーズの解散とサガン鳥栖の発足。JFLからJリーグへの昇格を目指して1994(平成6)年3月に本拠地を鳥栖市に移したフューチャーズ。スタジアムが完成した1996(平成8)年には、JFL最多の年間観客動員を記録するも、この年も昇格はかなわず、同年11月に主力スポンサーが撤退を表明。財政難によりクラブは解散の危機に陥ります。
そんな中、クラブの存続を信じるサポーターが市内外で署名活動を実施。5万人以上の署名が集まるなどサポーターの熱意がJリーグを動かし、チーム名を変えたうえで、JFLへの残留が決定。1997(平成9)年2月、佐賀県サッカー協会など支援6団体で運営する『サガン鳥栖』が発足し、市民クラブとして再スタートを切りました

◇第847号[平成年2月1日発行]
鳥栖市出身で、プロ野球・広島東洋カープの緒方孝市選手(当時)が市民球場で開いた『ふるさと少年野球教室』。地域のこどもたち約500人が招待され、緒方さんと5人のチームメイトが講師となり、実技指導が行われました。緒方さんの野球教室は現役を引退した現在も継続して行われており、スポーツを通じた青少年の健全育成や、市のスポーツ文化の発展に大きく貢献しています

◇第949号[平成14年5月1日発行]
市役所でVリーグの優勝報告をした久光製薬スプリングアタッカーズ(現在のSAGA久光スプリングス)の選手たち。1948(昭和23)年に創立し、リーグ優勝8回を誇る名門・SAGA久光。チームのリーグ初優勝は、2001/02シーズンで、『第8回Vリーグ女子』にてレギュラーラウンドを3位で通過。上位4チームで競うファイナルラウンドで三戦全勝し、栄冠を手にしました。

◇第959号[平成14年10月1日発行]
河内町の旧河内小学校跡地で、2002(平成14)年3月に起工、同年9月に完成したNPO法人市村自然塾九州の塾舎。同塾は『生きる力を大地から学ぶ』を基本理念とし、小・中学生に農業体験や自然活動体験、共同生活をする場を提供しています。塾舎完成の翌2003(平成15)年3月には第1期生が入塾し、2004(平成16)年からは市との共催事業『鳥栖市少年少女自然体験学習事業』を行っており、規律・自主性・創造性などの資質を育む場として、こどもたちの健全育成に永年にわたって貢献しています。

◇この時期の主なできごと

◇市立図書館特別企画『おぼえてますかあのころの本』
当時話題だった本や出版された本を市立図書館に集めて展示します。9月は、1994年から2003年です。

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