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歴史と未来の架橋(17)

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兵庫県上郡町

■野磨駅家(やまのうまや)物語(後編)
前回は、山陽道野磨駅家跡を舞台とした転乗(てんじょう)法師の霊験譚(れいげんたん)についてでしたが、山陽道野磨駅家跡には、この話にまつわるもう一つのお話があります。
転乗法師の霊験譚は非常に有名な話で、都にまで届くほどでした。都では清少納言が『枕草子』に「やまのむまやはあはれなりしことを聞きおきたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほ取りあつめてあはれなり」と記しています。
最初の「あはれなりしこと」というのは、転乗法師の話なのですが、「またもあはれなること」というのがこの話です。
清少納言が仕えていたのは、一条天皇の中宮(ちゅうぐう)・定子でした。定子は藤原伊周(これちか)の実妹で、おそらく清少納言も面識のある人だったのでしょう。
藤原伊周は、後に摂政・太政大臣となる藤原道長と権力を争いますが、花山法皇が自分の想い人に通っていると勘違いして矢を射かけたり、一条天皇の母である東三条院詮子を呪詛(じゅそ)したり、天皇にしか許されていない大元帥法(だいげんすいほう)という呪術を私的に行ったりと素行の悪さを咎(とが)められ、大宰府へ左遷されます。
しかし、一条天皇の計らいで、播磨国に一時止め置かれます。その止め置かれた場所こそ、野磨駅家ではないかと考えられているのです。
清少納言は、自分が仕える人の実兄が、大宰府へ左遷されていくのを可哀そうに思い、そして止め置かれた場所が、あの有名な転乗法師の話が残る野磨駅家だったことで、より一層思い入れのある駅家なのです、と記したと思われます。
現在、NHK大河ドラマ「光る君へ」が放送されていますが、そろそろ道長と伊周の権力争いの話に突入しそうです。さて、野磨駅家は登場するのか、しないのか?!ご期待ください!

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