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歴史と未来の架橋22

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兵庫県上郡町

■赤松居館跡出土 土師器皿(はじきざら)(前編)
赤松には、赤松氏の居館跡と伝えられる場所があります。現在でも小字名に「御屋敷(おやしき)」が残るこの場所は、かつては赤松小学校と赤松幼稚園が建てられていました。赤松小学校は、統合・移転した後、解体されましたが、赤松幼稚園は赤松の郷昆虫文化館として利用されています。
この赤松居館跡の実態を解明するために、平成28年から平成30年にかけて、兵庫県立歴史博物館ひょうご歴史研究室と上郡町教育委員会が共同で範囲確認調査を行いました。
その結果、遺構面を3面検出し、大規模な造成を行って居館跡を造っていることが判明しました。なかでも、第2面では東西6.5m以上、南北11m以上の大規模な土器溜(だまり)を検出し、1,000点以上の土師器皿が出土しました。
土師器皿とは、釉薬(ゆうやく)などを用いずに焼いた素焼きの皿で、中世の遺跡では非常によく出土する日常雑器です。とりわけ武士の館跡などでは、宴(うたげ)に用いられたと考えられ、大量に出土します。
赤松居館跡の土器溜も館での宴に用いられたと考えられます。しかも、土器溜から出土した炭化物を科学的に分析したところ、1333年~1337年という年代が測定されました。「1333年」は、赤松円心が護良親王(もりよししんのう)の令旨(りょうじ)に応じて、鎌倉幕府打倒のために挙兵した年です。
したがって、赤松居館跡の第2面は、赤松円心の時代の遺構面であることが明らかとなり、土器溜から出土した大量の土師器皿も円心の時代のものと考えられます。
もしかすると、円心が使ったものも混じっているのかもしれません。

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