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歴史探訪 シリーズふるさとを見直そう

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兵庫県丹波市

■大正三年の氷上郡公会堂建設問題をめぐる動向(二)―郡会史上の「一大汚点」はなぜ生まれたか―
神戸大学大学院人文学研究科 出水清之助

当初、公会堂建設は大正天皇即位の大典記念事業として企画されました。元々の建設予定地は柏原町で、郡当局は工費一万円のうち五千円を柏原の有志からの寄付で賄おうとしますが、柏原側はこれに応じませんでした。同時期に成松町に公会堂を建設する案が郡会議員の間で浮上します。これは成松側から建設費用五千円と敷地五百坪を寄付してもらうという案でした。郡当局は完成した公会堂を成松町の小学校雨中体操場としても使用してもよいという条件を秘密裏に成松側に提示することで、多額の寄付の承認を得たようです。郡長は柏原とも引き続き交渉を続けていたようですが、2月6日には成松に建設する意見書が郡会に提出されます。
こうした郡長や郡会議員のどっちつかずの対応は不誠実なものと捉えられ、柏原を中心に各町村長や住民を巻き込んだ反対運動が発生します。議会外の反対を受け、郡当局は公会堂建設議案の郡会への提出を見送りました。しかし、今度は郡会議員の反発を買い、郡長に対する不信任決議につながったことは、前回述べた通りです。
こうした議会内外で生じた問題の背景には、当該期の氷上郡内における柏原と成松の対立が存在していたと考えられます。成松は、大正期には町制が施行されるなど商業地として著しい発展をみせていました。一方の柏原は、郡役所・警察・学校などの重要機関が集中する行政上の要地ではありましたが、経済的には成松に後れを取っていました。郡公会堂のような重要施設を成松に建設することは、こうした両者の力関係にも大きな影響を及ぼしかねません。それゆえ、郡当局は公会堂建設を「郡治上重要ナル問題」と捉え、その採否に慎重であったのだと推測できます。郡会史上の「一大汚点」は、当該期の経済発展に伴う、地域構造の変化により生まれたものだといえるでしょう。

問合せ:社会教育・文化財課(山南庁舎内)
【電話】70-0819

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