■明治期氷上高等小学校の授業料
神戸大学大学院人文学研究科 井上 舞
明治18年(1885年)、柏原町に氷上郡各町村組合立高等小学校が設置されました。当時建てられた校舎は、その後、学校や病院として利用され、平成21年には兵庫県指定重要有形文化財となり、現在は「たんば黎明館」として親しまれています。
国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている「類聚(るいじゅう)現行氷上郡役所令示全書」には、明治20年から明治21年までの氷上郡役所から出されたさまざまな令示が掲載されています。
このうち氷上高等小学校については、(1)氷上小学校開校に関する通達(明治18年10月)(2)授業料に関する通達(明治20年3月)(3)指導教科の英語科と農学科の加設について(明治20年7月)(4)生徒の寄宿舎に関する各種規則(明治20年11月)(5)授業料徴収に関する告諭(明治20年3月)の5つが掲載されています。
(2)の授業料に関する通達は、授業料とその支払い方法について記されています。授業料は、戸別割(当時の地方税の一種)に応じて等級が分けられ、一級は8円40銭で、等外は2円40銭と定められていました。ただし、家の財政状況や、遠方からの就学など、諸条件に応じて等級が変わることもあったようです。また、納付は、4月・7月・10月・1月に分割で、小学校に直接納めるのではなくいったん戸長に納め、戸長から郡役所に納付されたようです。
(5)の告諭(こくゆ)(=言い聞かせ)では、「授業料を徴収することで子供の就学を嫌がる者もいるが、子供の教育は将来を見据えた際にとても大切なので、出費を惜しまないように」などの内容が書かれています。
明治18年に国が教育令を改正し、町村立学校の維持は授業料で賄うことになり、授業料の徴収が義務化されました。授業料が大きな経済的負担となって、子供を就学させない家庭が増えたため、そうした状況を受けて(5)の令示が出されたと考えられます。
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