■大正三年の氷上郡公会堂建設問題をめぐる動向(一)―郡会史上の「一大汚点」はなぜ生まれたか―
神戸大学大学院人文学研究科 出水清之助
東芦田の俳人細見綾子生家に残された「氷上郡会ノ閉会」という一枚の資料があります。
大正3年(1914年)2月16日に氷上通信社から発行されたこの資料は、「茲(ここ)ニ議決ノ顛(てんまつ)末ヲ略記シ郡民諸君ニ通報ス」という文末で結ばれており、氷上郡会の閉会を郡民に伝えるために作成されました。
郡会の閉会に至った発端は、2月6日の郡会で「郡公会堂ヲ成松町ニ建設スル意見書」が提出され、可決されたことにはじまります。この意見書の扱いについて、前川萬吉(まんきち)郡長ら郡当局は、曖昧(あいまい)な態度をとり続けたため、郡会は「紛擾(ふんじょう)ニ紛擾(ふんじょう)ヲ重ネ休会亦(ま)た休会ヲ以(もっ)テ会期の過半ヲ空費(くうひ)」してしまいます。結局、郡会の最終日になって「本件ハ郡治(ぐんち)上重要ナル問題」であり、採否は慎重を要すると郡当局者は答弁し、議案提出は見送られました。
この答弁に対し、一部の郡会議員は満足せず、郡長の措置は「郡輿論(よろん)ヲ無視シ、郡治上誠意ヲ欠(か)ク」ものとして、不信任案を提出しました。この案は多数をもって議決されますが、これに対し郡長は、郡制第六九条「郡会が権限を越えて法律に違反したと認められる場合、郡長の権限で議決を取消すことが可能」とある法律に基づき、当該議決を取消します。これに対抗し、今度は議員たちが「大正3年度氷上郡歳入予算」に関する議案の返上を議決しますが、またも郡長は第六九条により取消し命令を出しました。
このように、大正3年の氷上郡会は紛糾し、「郡会ノ職責トシテ最モ重要ナル予算案」は不成立のまま閉会しました。これについて、氷上通信社は、郡会史上の「一大汚点」と強く批判しています。
なぜ、こうした一大汚点が生じてしまったのでしょうか。どうして公会堂建設が「郡治上重要ナル問題」になるかも含めて、次の機会に検討したいと思います。
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