◆町には高校があるー。
今年で創立115年を迎えた兵庫県立佐用高等学校(以下、佐用高校)。多くの若者が夢を育み、進学や就職に向けて力を蓄える場として地域に貢献してきました。
一方で、全国的な人口減少の影響は佐用高校にも押し寄せています。かつて1,500人近くいた全校生徒も、今年度は約400人にまで減少し、定員に満たないクラスも増えてきました。県内では、統合が進む高校もあり、西播磨地域の高校にも将来的に統合の波が訪れる可能性が高まっています。
◆もし、町から佐用高校がなくなったら―。
「町に高校がある」ということを、当たり前だと感じていませんか?通学する高校生の姿や、学校から響く部活動の活気ある声。そんな日常の風景が、実は地域にとって大きな役割を果たしています。
佐用高校が果たしてきた役割は、今も変わらず続いています。今月号では、ともに歩んできた歴史を振り返り、「町に高校があるということ」の意義を考えます。
◆第1章 先人の思いでつながってきた 佐用高校の歴史
◇郡民の熱い願いと大きな期待で開校した「学びの場」佐用高校の前身として、明治42年に佐用坂で開校した「佐用郡立農蚕(のうさん)学校」。この学校の創立の功績は、『佐用町史』にこう記されています。
幕末まで六藩に分割統治され、横の連絡のなかった佐用郡が、新しい教育機関を創立したことにより、郡内全域から有能な青年を一堂に集め、勉学と実習に励み、寝食を共にした3年間の研さんは、佐用郡の産業発展の糸口を開くこととなった。
また、現在実施している広域行政の端緒をつくり、佐用郡の産業発展史に不滅の光明を放っている。(『佐用町史』抜粋)設立の経緯を見てみると、町に「学びの場」を持つことは、当時の町民の熱い願いと大きな期待に応えるものであったことが伺えます。
戦後の佐用高校には、県下唯一の昼間定時制が設置され、多様な背景やニーズを持つ生徒に教育機会を提供してきました。その後、定時制は廃止されましたが、普通科、農業科、畜産科、家政科、地域開発科など特色ある学科を擁した総合制高校として、県内外でその名を知られるようになりました。
◇「佐用の子は佐用で育てる」それが地域の文化を築く
・第20代校長〈平成7・8年度〉
谷口 勝昭さん(金子)
昭和35年に佐用高校を卒業してから、教員として町外で過ごしていましたが、平成7年に母校の校長として佐用高校に戻ることができました。
佐用高校は私の学生時代から「地域の学校」として、佐用町出身の生徒たちが多く学んでいます。学力や運動能力はさまざまですが、それぞれの個性がうまく融合し、互いに刺激し合いながら成長するのが本校の特徴です。この環境が生徒たちの精神力を鍛え、社会に羽ばたく力を育む原動力になっていると感じます。
私はずっと、「佐用の子は佐用で育てるべきだ」という思いを抱いてきました。この考えが地域の文化を築き、町の活性化につながり、今の佐用町と佐用高校を支えているのだと信じています。
◆第2章 生徒層の変化と現状 増える進学の選択肢
地域に根ざした学校として、創立以来、多くの生徒が学んできた佐用高校。時代の変化とともに、通う生徒層も少しずつ変わってきています。特に近年、子どもたちの「進学の選択肢」が広がり、その影響を受けています。
◇ピークは昭和
40年佐用高校の生徒数が最も多かったのは、いわゆる団塊の世代が卒業した昭和40年で、当時の全校生徒数は1,499人に達していました。その後、定時制の廃止や人口減少に伴い学級数が減少し、生徒数も徐々に減少して現在に至ります。
かつては、町内の中学生の多くが佐用高校への進学を選び、町外の高校に進学する学生はわずかでした。
◇学区再編で姫路へ通学が可能に
近年、佐用高校にとって大きな転機となったのが、平成27年度に実施された「学区再編」です。それまで県内は16学区に分かれており、西播地区から他地区の高校へは進学できませんでしたが、再編によって5学区に整理され、姫路地区の高校への進学も可能になりました。また、第二志望まで選択できる「複数志願選抜」が導入されたことで、町外の高校を志望する中学生が増えています。
◇町外の生徒が増加傾向
学区再編前の平成24年度には、町内中学生のうち66%が佐用高校に進学していましたが、昨年度は41%と減少傾向にあります。一方で、現在、佐用高校に通う生徒の5割以上は町外から通学しており、増加傾向にあります。
このように進学の選択肢が増えたことで、佐用高校の生徒層にも変化が生まれています。
・町内中学生の佐用高校への進学率
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