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[特集]町に高校があるということ(2)

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兵庫県佐用町

◆第3章 鉄道なくして佐用高校なし ともに成長した鉄道
昭和11年に開業した姫新線と、平成6年に開業した智頭急行は、多くの学生の通学手段として欠かせない存在です。「もし鉄道がなければ」「もし高校がなければ」―。ともに育まれてきた地域の過去と現在を探ります。

◇「もし鉄道がなければ」
姫新線と智頭急行は、佐用高校をはじめ、地域の学生たちの通学に欠かせない生命線です。もしこれらの鉄道がなければ、遠方から佐用高校へ通うのは難しく、町外の高校への進学を選ぶ学生たちも、その機会を失っていたかもしれません。
「もし鉄道がなければ」―佐用高校はすでに存在しなかったかもしれません。

◇「もし高校がなければ」
地域の活性化に貢献する鉄道ですが、人口減少に伴う乗客数の減少が課題となっています。そんな鉄道を支える重要な存在が、通学のために利用する学生たちです。ここ2年、生徒数減少の影響で佐用高校生の鉄道利用者数はわずかに減少しているものの、町外の高校へ通う学生の利用は増加傾向にあります。
「もし高校がなければ」―町から鉄道が姿を消していたかもしれません。

◇欠かせない両者のつながり
町の発展には、多くの要素が必要です。その中でも地域の教育を支える「佐用高校」と、交通の基盤である「鉄道」は、どちらも欠くことのできない存在です。
今では当たり前に感じるこの関係性も、ともに支え合いながら成長してきたからこそ、今日の佐用町があるのではないでしょうか。

・佐用高校生の鉄道利用率(姫新線・智頭急行)

◆第4章 佐用高校での学びが財産 今の私がある理由
これまでに約2万1千人の卒業生を輩出した佐用高校。学校で培った知識や築いた友情を活かし、さまざまな分野で活躍する卒業生たちに、母校との思い出を伺いました。

・同窓会長〈昭和44年卒業〉
谷本 学さん(上町)

◇佐用高校が町の産業の支えに
平成22年から佐用高校の同窓会「塔陵(とうりょう)会」の会長を務め、今年で14年目を迎えます。私も佐用高校で学び、大学進学のため一度は佐用を離れましたが、卒業後、父が営んでいた印刷会社を継ぐために戻ってきました。
私が通っていた当時、大学進学をめざす生徒はまだ半数以下で、多くの仲間が就職を見据えて勉学に励んでいました。特に、家業がある家庭では、高校を卒業して後継者として働く、そんな流れが自然と生まれていたのです。
約半世紀にわたり佐用商店街で事業を続けてきた今、佐用高校が町の産業を支える大切な存在であることを改めて実感しています。

◇母校がさらに輝くことを願う
現在、佐用高校の生徒数が減少していることに、卒業生として少し寂しさを感じます。しかし、「佐用高校が元気であれば、町全体も活気づく」と信じています。
これからも同窓会長として、母校がさらに輝き続けるよう、卒業生全員で力を合わせて支えていきたいと心から思っています。

◆佐用高校で描かれた青春の軌道
◇佐用農蚕学校での学びが地元での就職につながる
・昭和23年卒業
野村 惠康(しげみち)さん(大畠)
私が入学したのは、かつての佐用農蚕学校でしたが、在学中に現在の佐用高等学校へと校名が変わりました。戦後の復興期であった当時、日本全国が食料難に苦しんでおり、勉強よりも学校の畑で芋などの作物を育てる日々が思い出に残っています。
同級生60人のうち、進学したのはわずか6人という時代でしたが、佐用高校で学んだおかげで地元で就職できました。

◇自宅から通える環境が夢の実現につながった
・平成2年卒業〈普通科〉
にしむら ともこさん(上石井出身)
高校生のころから漫画を描くのが好きで、美術部の仲間と「学生漫画賞」に応募し、賞品をもらったことが心に残っています。卒業後は漫画家をめざして専門学校に進学し、夢を実現しました。
自宅から通える佐用高校を選んだことで、ゆったりとした学生生活を送ることができ、その時間が夢の実現への一歩になったのだと思っています。

◇後輩たちが都会で挑戦する支えになれれば
・平成9年卒業〈普通科〉
岡本 隆根さん(豊福出身)
音楽好きな私は、毎朝の自転車通学中に歌を熱唱していたことをよく覚えています。その青春の1ページが、東京での歌手デビューへと導いてくれました。
当時、佐用高校から東京の大学へ進学するのは珍しい選択でしたが、挑戦して本当によかったと感じています。これからは、都会をめざす後輩たちの支えになれればと思っています。

◇農業科での学びを基礎に佐用町のPRを
・平成16年卒業〈農業科〉
田邊 貴之さん(横坂)
両親は兼業農家でしたが、私は専業農家として生きる道を選び、農業科に進学しました。高校では実習を通じて農業の基礎をしっかり学び、その経験が農業への情熱をさらに深めました。
そして、9年前に念願のイチゴ専門「田邊農園」を開園しました。これからも、私のイチゴが冬の特産物として佐用町のPRに貢献できるように努めていきたいです。

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