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ふれあい

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兵庫県多可町

■「節分の鬼を考える」
いよいよ2月が始まります。2月といえば、節分ですね。節分は、厄を払うための習わしとして親しまれてきた日本の伝統行事です。
この節分という言葉には、もともと季節を分けるという意味があり、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指していました。旧暦では立春が新年の初めだったため、立春の前日(今年は2月2日)、つまり旧暦の大晦日を特に節分として重要視したということです。
そして節分といえば、「鬼は〜外、福は〜内」と唱えながら大豆をまくことで、邪気を追い払い、福を招く効果があるとされています。この節分の鬼、邪気とは一体何なのでしょうか。
もともとは中国の行事で、厄鬼という疫病をもたらす鬼を、魔除けの力がある穀物で追い払うというものでした。日本では平安時代の仏教で、鬼は煩悩と呼ばれる人の欲望や悪い心に住み、それが災いとなるという考えから、寺院で催事として行われるようになりました。
つまり節分の鬼は、人の内にある欲望や悪意、自己中心的な思い上がりなどの煩悩・邪気を意味します。その煩悩・邪気のシンボルである鬼を豆と一緒に追い払い、心の煩悩・邪気を取り除いて清々しい新春を迎えようとしているわけです。
もちろん鬼は、「善」にもなりえます。たとえば、仏様の説法を聞いて改心し、子どもを守る神様になった「鬼子母神(きしもじん)」や秋田の「ナマハゲ」は、見た目は恐ろしいですが、人々に活力を与えて回る神の使いです。
ただ、二松学舎大学教授の小山聡子さんも言われるように、古代から日本人は差別・排除の対象を「鬼」とみなし、国に危機的状況が起きると、鬼のせいにしました。このように、何か一つの言葉を与えることで定着したイメージを植え付け、相手や物事の多面性を考えることをやめてしまいます。
世界が先行き不透明な今だからこそ、私たちは鬼の歴史から学び、偏った見方をしていないか常に自戒する必要があるのではないでしょうか。
最後に古い歌より
「みな人の心の底の奥の院 探してみれば 本尊は鬼」

問合先:人権啓発推進室
【電話】32-1389

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