■第14回羽柴秀吉寺領宛行(じりょうあてがい)状
天正8年(1580)斑鳩寺蔵太子町指定文化財
戦国時代、播磨を平定した羽柴秀吉さんが、斑鳩寺に寺領三百石を定めた書状だよ。これ以後、鵤荘から法隆寺に年貢を納めることがなくなったんだ。
「秀吉」の名前の下の、両手を広げた土俵入りのようなのが、秀吉さんの花押(サイン)。「悉(しつ)」という字を図案化したものなんだ。ほかにも、戦勝祈願やご祝儀へのお礼状など、全部で8通の秀吉さんの書状が斑鳩寺に残されているよ。
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