■寝た子を起こすな?
「寝た子を起こすな」
元々は、不必要なことをしたために生じる逆効果を示すことわざです。これを同和問題に当てはめ、「何も知らない人にわざわざ問題所在を知らせる必要はなく、そっと放置しておけば自然に解決する」という意味で使われることがあります。
果たして、この考え方は、正しいのでしょうか。
今なお存在している部落差別を「教えない、知らせない」のは、「事実を隠せ」ということになります。そして、この考え方は、「部落差別が今も存在している」ことを前提にしているという矛盾をはらんでいます。つまり、「差別に苦しむ人がいるという現実を隠せ」と言っているに等しく、「誰一人取り残さない社会の実現」には程遠い考え方であると言えるでしょう。
さらに、本当に寝た子は起きないと言えるのでしょうか。
現代は、インターネットやSNSが急速に発達し、私たちの
周りは、さまざまな情報であふれかえっています。そして、それらの中には、誤ったものや偏見に満ちたものも含まれています。情報を批判的に捉えるスキルの未熟な人や正しい知識をもたない人がそれらの情報に触れることで、「寝た子が誤って起こされている」現状があるのです。
もし、差別や偏見に対して、正しい歴史的認識と態度をもち合わせているなら、同和問題に直面しても、「それはおかしい」と批判できるはずですし、変に意識してしまうこともないはずです。つまり、「寝た子を正しく起こす」ことが大切なのです。
また、人権の学習に際し、「私は、十分分かっているからもういいよ」という声を耳にすることがあります。しかし、時代の急速な変化に伴う問題の複雑化や概念の変化に対応するためにも、学び続けることは必須と言えるのではないでしょうか。法学者の谷口真由美さんは、「昔の服は、リメイクしないと着られないし、パソコンもアップデートしないと能力が発揮できない。人権感覚も常に磨いていくことが大切だ」と言われていました。
現実を見ない、語らない、聞きたくないというのではなく、課題意識をもって、自身をアップデートしていきたいですね。
問合せ:社会教育課
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