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【特集】第25回宝塚映画祭~映画の都タカラヅカ~(2)

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兵庫県宝塚市

■宝塚市と映画の歴史
(1)1938 昭和13年
宝塚歌劇団設立者・小林一三氏の発言をきっかけに、映画撮影所が誕生

1941 昭和16年
太平洋戦争での国による統制が行われ、宝塚を含め多くの映画製作会社が一時閉鎖

1951 昭和26年
(株)宝塚映画製作所が設立され、映画製作を再開

1953 昭和28年
漏電により撮影所が全焼し、西宮北口に仮設スタジオを設立

1954 昭和29年
宝塚市制施行

(2)1956 昭和31年
元の場所に新撮影所が完成
宝塚映画製作所の黄金期を迎え、年間20作品ほどを製作

1958 昭和33年〜
テレビの普及に伴い、宝塚映画製作所が、日本で初めてテレビ映画(ドラマ)の製作を開始

1965 昭和40年〜
関西テレビ放送との共同製作により、阪急沿線が舞台となり、市内各所で撮影された「阪急ドラマシリーズ」の放送開始(1994年まで)

1978 昭和53年
「お吟さま」を最後に、劇場映画から撤退。
以降、テレビドラマの制作が中心に

1983 昭和58年
宝塚映画製作所から「宝塚映像」へと名称変更

1995 平成7年
阪神・淡路大震災をきっかけに、製作終了

1999 平成11年
「ピピアめふ」が完成し、市民の要望を受けて「シネ・ピピア」が誕生

(3)2000 平成12年〜
有志により宝塚映画祭を初開催。
以降、毎年開催

◇参考文献
・宝塚市大事典編集委員会(2005)『宝塚市大事典』、大阪書籍株式会社
・宝塚市立中央図書館市史資料担当(2000)『市史研究紀要たからづか第17号』、宝塚市教育委員会
・宝塚映画祭実行委員会(2000)『第1回宝塚映画祭公式ガイドブック』、関西成光株式会社
・高野昭(2010)『わが青春の宝塚映画』、宝塚映画製作所OB会有志

(1)小林一三氏が「宝塚歌劇の中に映画場面を取り入れ、キノ・ドラマ(劇中に映画を挿入する形式)をつくれ」と命じたことをきっかけに、1作目『軍國女學生』が誕生。その後、現在の関西学院初等部のあたりに撮影所を新設した。

(2)約2万平方メートルの敷地を誇り、設備や機能面の高さから当時は東洋一と言われた撮影所。時代劇やコメディ、ミュージカル、関西色の強いものなど多くの作品を製作した。その後、撮影所は、かつての宝塚ファミリーランドのイベントホールとして活用された。

(3)映画が最大の娯楽だった昭和30年代、市内には7館の映画館があったが、娯楽の多様化とともに閉館が相次ぎ、昭和47年以降は市内に映画館がなかった。
時を経て「宝塚にもう一度映画の灯をともしたい」と、同じ思いを持つ主婦、学生、会社員など有志が集い、宝塚映画祭実行委員会が発足した。

■音響で魅了する映画館 シネ・ピピアで映画を鑑賞しよう!
コンサート用スピーカーを採用し、従来の倍以上の迫力ある高低部の音質を実現。こだわりの音響を次世代へつなぐため、今年度中に音響設備の更新を予定しています。
また、デジタル映像のほか、今や珍しい35ミリフィルムの上映も行う、全国でも数少ない映画館の一つです。さらに、新作品だけでなく、リクエストによる作品や話題になった作品を上映するなど、親しみやすく映画を身近に感じることのできる貴重な映画館です。

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