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新春対談 市制70周年今とこれから(1)

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兵庫県川西市

【川西市名誉市民 古田敦也さん×川西市長 越田謙治郎】
令和6年8月1日で市制施行から70年を迎えます
市制70周年を記念し、名誉市民の古田敦也さんと越田市長の対談をキセラ川西プラザ1階の古田敦也メモリアルギャラリーで行いました。古田さんが感じる川西の魅力やこれからの未来を担う子どもたちへの思いを語っていただきました

●古田敦也さん Atsuya Furuta
川西市出身。県立川西明峰高校、立命館大学、トヨタ自動車を経て、ヤクルトスワローズに入団。5度のリーグ優勝と4度の日本一に導く。MVP2回、首位打者1回、ゴールデングラブ賞10回受賞。平成27年に野球殿堂入りを果たす

●越田謙治郎 Kenjiro Koshida
平成14年10月に当時全国最年少で市議に就任。市議と県議各2期を経て、平成30年10月に市長に就任。令和4年10月に再選し、現在2期目を迎える

◆逆境を跳ね返し夢をつかむ
越田市長
古田さんは現役引退後も野球解説やニュース番組への出演など、ご多忙の中、川西でチャリティゴルフ大会や古田旗争奪少年軟式野球大会、ここ古田敦也メモリアルギャラリーなど、名誉市民としていつも川西への変わらぬ思いを持ち続けていただいていることを心からうれしく思います。
古田さんが住んでおられた時と比べ、川西の印象はいかがでしょうか。
古田さん
最近は2カ月に1回の頻度で川西に帰りますが、子どもの頃と比べて、川西能勢口駅周辺はマンションが増えて、大きく変わりましたね。
僕が高校生の頃は、川西能勢口の駅前にファストフード店が初めて出店したことが、まちの話題になっていました。先生からは、下校中に寄らないようにとよく言われたことを今でも覚えています。
越田市長
古田さんは、首位打者やゴールデングラブ賞を取るなど、私の世代みんなの憧れでした。私たちの世代がおとなになり、今の子どもたちに「川西には古田さんというスーパースターがいるんだよ」とよく言っています。
そんな古田さんの子どもの頃について教えてください。
古田さん
高校まで川西で育ち、小学校からずっとキャッチャーとして野球に打ち込んでいました。週末に行われる試合を、両親が見に来てくれることがいつも楽しみでした。そして、自分が活躍して両親に喜んでもらいたいという一心で張り切っていましたね。越田市長野球の名門校はたくさんありますが、なぜ地元の県立川西明峰高校に進学されたのですか。
古田さん
当時は、今よりも高校野球が盛り上がっていました。そんな時代で、野球の名門校に入学してもレギュラーになるのは現実的に難しいと思ったんです。それで、自宅から近い県立川西明峰高校に進学することに決めました。
越田市長
高校卒業後は野球を続けないつもりだったとお聞きしました。高校卒業後からプロ野球選手になるまでのことを教えてください。古田さん高校までで野球をやめようと思い、一般入試で立命館大学に合格しました。ですが、立命館大学の監督に誘われて続けることにしました。
大学3年生からスタメンとして試合で活躍し、4年生になりプロ野球選手になろうと意識し始めました。でも、結局ドラフト指名されなかった。周囲からは「目が悪かったから」「眼鏡をかけて活躍している人がいなかった」など言われましたね。乱視だったこともあり、当時は眼鏡でしか矯正することができなかった時代ですから。
大学卒業後に入社したトヨタ自動車では、反骨精神を持って頑張った結果、憧れのプロ野球選手になることができました。出会ってきた人との縁に感謝しています。

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