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Kculture vol.116

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兵庫県川西市

かわにしならではのカルチャーを発信。あんな人やこんな場所、魅力的なグルメなどを紹介します



明治時代に平野地区で生まれた奇跡日本を代表する「三ツ矢サイダー」の軌跡をたどる

○市制施行前から全国へ出荷されていた三ツ矢サイダー
140年前の明治17年、現在の平野地区で炭酸水「平野水」の製造が開始。その後「三ツ矢シャンペンサイダー」などの名称を経て、「三ツ矢サイダー」が生まれました(※)。
現在の年間製造数は9億6,000万本以上。今や誰もが知る人気商品の起源は市中部にあったのです。
大正2年、現・川西能勢口駅から現・一の鳥居駅の間を路線とする能勢電鉄(株)が開業。平野地区で稼働していた工場前には引き込み線があり、サイダーを積み卸ししていたそうです。能勢口駅(現・川西能勢口駅)から、国鉄池田駅(現・JR川西池田駅)を経由し、国鉄(現・JR)に積み替えられて全国に出荷されました。

○三ツ矢の由来
三ツ矢サイダーの由来は、清和源氏にあります。伝承では、清和源氏の祖とされる源満仲公が、築城に当たり住吉大社に祈念したところ、「矢を放ち、落ちた地こそがふさわしい」とお告げがありました。放った矢は、多田沼をねぐらとし、悪行を働いていた九頭龍に命中。神託の通り、多田の地に城を構えました。その際、落ちた矢を探し当てた男に、「三ツ矢」の姓と三本の矢羽の紋を与えたそうです。

○東洋一の工場へ
市の産業や歴史と深い縁のある三ツ矢サイダー。大正時代には海外にも輸出され、平野工場は「東洋一」とうたわれるようになりました。しかし、太平洋戦争時には危機を迎えます。厳しい戦時体制の下、生産縮小を余儀なくされ、戦争末期には東京や西宮の工場で製造中止となりました。
そんな中でも平野工場では生産が続けられ、昭和42年に閉鎖されるまで、三ツ矢ブランドの成長を支えました。

※マドリッド協定を受けて、昭和43年に「シャンペンサイダー」から「三ツ矢サイダー」へと名称を変更



○ジオラマ・マンホールお披露目と三ツ矢サイダー無料配布
3月28日(木)午後2時から、市役所南広場でアサヒ飲料(株)から寄贈された平野地区のジオラマと周年記念マンホールの贈呈式を開催。
また、午後2時半から、同社が三ツ矢サイダー(250ミリリットル)900本を無料配布します(無くなり次第終了)。

●かつての平野をジオラマ化
市制70周年を記念し、アサヒ飲料(株)が、三ツ矢の塔のある平野地区のジオラマを寄贈。市役所1階に展示されます。

○市制70周年特設ウェブサイト
「毎日にはっけんを。」をテーマに、過去の写真や周年イベント、市内事業者などを紹介しています。

問合せ:市制70周年記念事業事務局
【電話】072-740-2034

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