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自治体の皆さまへ

人権シリーズ 344号

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兵庫県市川町

~感性豊かな人・まちづくりをめざして~

■関東大震災から一〇〇年
1923(大正12)年9月1日11時58分、未曽有の大災害が発生しました。関東大震災です。今からちょうど一〇〇年前のことでした。
東京・横浜を中心に甚大なる被害があり、死者行方不明者は約10万5000人と推定されています。ちなみに近年の大地震での震災直接死と行方不明者の数は、阪神淡路大震災では約5500人、東日本大震災では約1万8000人です。関東大震災の被害がいかに大きいものであったかが分かります。
亡くなった方の9割が焼死です。つまり大規模火災によるものです。その原因は、三つあります。昼食時で火気使用中であったこと、木造建築が密集していたこと、台風の強風で炎が広がったことです。行政機関の倒壊被害も甚大で、首都機能は完全に麻痺しました。この経済被害額はこの年の日本国家予算の4倍にもなりました。
上は一〇〇年前の写真(※本紙参照)で、東京駅前から日本橋方面を撮影しています。大都市東京が廃墟となっています。関東大震災の発生した期日、9月1日は後に「防災の日」に定められました。

■デマの拡散・朝鮮人虐殺
関東大震災では、朝鮮人虐殺という悲惨な事件が発生しています。近年、内閣府がその実情を検証しました。
発端は震災に乗じてのデマです。「朝鮮人が暴動を起こす。朝鮮人が火をつけた。井戸に毒を投げ入れた」という流言です。それを新聞も報道しています。そして、大災害での集団パニックの中、いたるところで朝鮮人への集団暴行殺人事件が発生したのです。加害者は民間の自警団で、さらには一部で警察や軍隊も関わっています。公式記録が乏しく被害者の正確な数はつかめませんが、殺害された人数は、震災による死者数の1~数%にあたるとされています。被害者には朝鮮人と誤認された中国人や日本人も含まれます。
なぜ、このようなむごたらしいことが起きたのでしょうか。当時の日本は朝鮮を植民地支配していました。その反発が起きるという恐怖感があったのと、あからさまな民族差別があったからです。日本の災害史上最悪の事態となりました。
9月1日は防災の日であるとともに、人権についても深く反省すべき日です。

■阪神淡路大震災での共助
関東大震災から72年後の1995年1月17日未明、阪神淡路大震災が発生しました。
人々は助け合い、がれきの下の人を救出しました。避難所では整然と並んで配給を待ちました。そして全国からボランティアが駆け付けました。この年が日本のボランティア元年と言われています。
阪神地域には多くの在日コリアンが在住していますが、日本人と共に助け合い、互いの生命を守りました。神戸には朝鮮初中級学校があります。ここにも150人が避難しました。そのうち100人が日本人でした。このような避難所でも「困った時はお互い様」と言いながら、とても温かい協力関係が生まれました。
阪神地域には他の外国人も多数在住していますが、震災では国籍を超えた共助がありました。関東大震災の72年後に、これほどまでに変わったのです。
その最大の要因は、日本国家が軍国主義から民主主義・平和主義になったことです。国民の意識は国粋的ナショナリズムから脱却し、グローバリズムに向かいました。温かい共助の精神は、絶対にこれからも大事に引き継いでいきたいものです。

■お知らせ
◇人権教育交流集会
日時:9月30日(土)9時40分〜正午
会場:市川町文化センター
講師:石元清英氏
演題:「部落問題の現状と人権教育・啓発の課題〜部落問題をどう語り、伝えるのか〜」
詳しくは広報と同時配布のチラシをご覧ください

問合せ:生涯学習課 人権教育啓発係
【電話】26-0001

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