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自治体の皆さまへ

人権シリーズ 348号

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兵庫県市川町

~感性豊かな人・まちづくりをめざして~

■新年を迎えて
市川町人権文化推進協議会会長 松下洋一

◇「王舎城の物語と部落差別」
王舎城…古代インド・マガダ国の王都

新年あけましておめでとうございます。
本年も皆さまと一緒に、人権文化の誇れる町づくりに努めたいと思っています。

お釈迦様が八〇年の生涯の中で説かれたお経の一つに「観無量寿経」があります。このお経は最初に「旃陀羅」(せんだら)というインドの差別表現を含んだところから始まります。
王舎城には国王・頻婆沙羅(びんばしゃら)と夫人・韋提希(いだいけ)が住んでいました。子宝に恵まれなかった二人は、占い師に見てもらいます。すると、奥山の仙人が亡くなれば、二人の子となって生まれてくると言います。それが三年後だと言います。しかし、今すぐの子ども欲しさのために、国王と夫人は仙人を殺してしまいました。
まさにその日の夜、夫人は身ごもりました。この知らせを喜んだ王は再び占い師を呼び、お腹の子の将来を占わせます。すると占い師は「男の子がお生まれになり世継ぎとなられます。ただし、成長の後には王に危害を加えることになるでしょう」と言いました。
やがて男の子が生まれ、阿闍世(あじゃせ)と名付けられます。そして王子は自分の出生の秘密を知り、占い師の予言通り父・頻婆沙羅(びんばしゃら)だけではなく、母・韋提希(いだいけ)までをも殺そうとします。その時、大臣の月光(がっこう)が「母殺しは旃陀羅(せんだら)のすることです」といさめます。

「旃陀羅」(インドではチャンダーラ)は古代インドから続いている四種姓(カースト)から外れた最下層民の名称であります。「旃陀羅」は中国では非常に残酷な者、悪しきことをする者だという解釈になります。そして、同じ解釈で日本にも伝わります。ところが、日本は身分社会における賤民制度を引き合いに出し、中国の解釈をより具体的に説明しようとしたのでした。
「旃陀羅(せんだら)とは被差別部落民のことである」
江戸時代以降、宗学者によるこの解釈は学寮の講義で行われるとともに、多くの僧侶や布教徒たちがこのような解釈で「旃陀羅」を解説してきました。それは日本において、差別されてきた人びとへの差別を助長し、さらに強化することにつながりました。
一九二二年、全国水平社が創立された頃からこの問題が指摘されはじめます。そして一九四〇年、日本の仏教教団に対して「今までの伝統的な『旃陀羅』の解釈は適切ではない。是非善処してほしい」と、公式に申し入れがなされており、今もこのことが問われ続けています。

私は、宗教とは本来すべての人びとが平和を愛し、自由・平等に生きることができる教えであると考えています。そのことから、部落差別においては、差別の克服を願わずにはおれぬ心が、私たちの根底に息づいているものと信じています。つまり、差別された人びとも差別してきた者も、平和であり自由であり平等である社会を求めているからであります。
[新年を迎えての寄稿]

問合せ:生涯学習課 人権教育啓発係
【電話】26-0001

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