文字サイズ
自治体の皆さまへ

我がまち朝来 再発見(第204回)

26/38

兵庫県朝来市

■陣屋札と私札
令和6年7月に新紙幣が20年ぶりに発行され、世間の話題となりました。新紙幣の肖像になった3名は、新たな産業の育成、女性活躍、医学の発展といった面から日本の近代化に大きく貢献しました。ようやく手元に新しいお札がきて、少しずつですが普段から見る機会が増えた人も多いのではないでしょうか。
現代の紙幣と同じ類のものとして、江戸時代では但馬の旗本領において陣屋発行の「陣屋札」、また村々からは「私札」が発行されていました。朝来市域においても数種類の陣屋札や私札が流通していました。「陣屋札」とは主に銀札を指すもので、簡単にいうと銀貨と交換ができる札のことです。江戸時代の貨幣制度は現在とは異なっており、3貨制度(金・銀・銭)で成り立っていました。匁(もんめ)・分(ぶ)を貨幣単位とする銀札は、金札に比べて小額で額面単位の刻みも多く種類も豊富で、便利な決済手段として領民に受け入れられていました。今回はその中から和田山地域で流通していた札に焦点を当て、それらの果たした役割についてみていきましょう。
和田山地域には江戸時代、土田小出(はんだこいで)陣屋と糸井京極陣屋の2つの旗本陣屋がありました。陣屋とは、居城をもつことができない小さな大名や旗本が城の代わりに使ったものです。現在は両陣屋とも主な建物は残っていませんが、陣屋門が残っています。
土田小出(はんだこいで)陣屋発行札には「但州小出」、糸井京極陣屋には「但州糸井」と明記されています。両札とも、米預切手・米切手と記されていることから、年貢米の代わりとして銀を納める際に、年貢米の代わりとなる銀に混ぜて還流する仕組みの札であったことが推測できます。領主権力の保障のもとに発行され、年貢上納で返還される札であったので信用度が高く、広範囲に流通していたと考えられます。
これに対し「私札」はどうだったでしょうか。私札は発行者が公的でないので、どうしても個人的信用が領主に比べ低く、流通範囲が限られてきます。しかし、私札は発行されており、それらの札はどういう使われ方をされていたのでしょう。
和田山地域で発行されている私札は「糸井庄吉(しょうきち)切手札」があります。この札は糸井林垣村の吉井庄左衛門(よしいしょうざえもん)家が発行していました。吉井家は地主で、多くの小作人たちを抱えていました。
当時、小作料が完納できないときは、麦年貢や藁(わら)製品をその補いのために納めており、日雇いも有力な小作料完納補助手段でありました。吉井家では、小作人が日雇いに来た場合、この札を渡し小作料収納時に精算したと思われます。
このように陣屋札や私札は色んな用途で流通していたことが分かります。お金の流通や決済の仕組みが変化し、キャッシュレス化で現金を手にすることが少なくなった今、陣屋札や私札といった昔のお金に思いを巡らせてみるのもいいかもしれません。

問い合わせ先:文化財課
【電話】670-7330【Eメール】bunkazai@city.asago.lg.jp

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU