■岩津ねぎの歴史と価値を、子どもたちに伝える
山口小学校と中川小学校では、地元農家を講師に迎え、毎年岩津ねぎの植え付けから収穫までを体験する活動が行われています。
山口小学校で植え付け体験の講師を務める羽渕老人クラブ会長の柴さんは、約30年前に大分県から朝来市に移住した際に、岩津ねぎと出会いました。その後、栽培方法を学び、自分で作った岩津ねぎを同級生に送ると「ブランド品なのにいいの?」と驚かれたり「甘くて美味しい」といった声を多く聞き、岩津ねぎのブランド価値を再認識したそうです。
講師を始めて10年が経った今、柴さんは子どもたちに歴史と栽培方法を伝え、誇りと愛着を持ってもらえるよう努めています。「子どもたちが成長し、いつかこの土地で岩津ねぎを育てたいと思った時に、この体験が記憶の片隅に残っていれば嬉しいです」と話されました。
一方、中川小学校で講師を務める物部営農組合組合長の澤田さんは、かつて、岩津ねぎの商標権取得やブランド化に携わった経験を持ちます。岩津ねぎを地域のブランド野菜にするため尽力してきた経験や岩津ねぎを後世に残したいとの思いから、この活動に取り組まれています。長年講師を務める中で、はじめは岩津ねぎが苦手だった子が、自分で育てた岩津ねぎを使ったお好み焼きを食べ、「今までで一番美味しかった」と話してくれたことが心に残っていると話します。澤田さんは「地元の子どもたちが岩津ねぎの魅力を再発見し、体験を通じて感じた想いを、伝え広めてくれることを願っています」と話されました。
「地域の宝である岩津ねぎを、未来に残したい」そんな想いをもった大人から子どもたちに岩津ねぎの歴史や価値を直接伝える体験は、岩津ねぎへの誇りを育む大切な役割を果たしています。
■岩津ねぎを、次世代へ
岩津ねぎを取り巻く自然環境や、これまで受け継がれてきた農業の方法を次世代に伝えるため、行政や農協、岩津ねぎ生産組合、道の駅などで構成される推進協議会が立ち上がり、国の制度である日本農業遺産への認定を目指しています。
岩津ねぎの栽培には、地元農家の皆さんが代々受け継いできた技術により、化学肥料や農薬の使用を抑えた環境にやさしい農業が実践されています。そのため、栽培地周辺には、特別天然記念物であるオオサンショウウオやコウノトリ、さらに岩津ねぎなどの蜜を吸う希少なウスバシロチョウなどが生息するなど、岩津ねぎの栽培は生物多様性にも寄与しています。
推進協議会が提出した、朝来地域の「岩津ねぎを生み出した資源循環型農業システム」は一次審査を通過。12月24日(火)に実施される二次審査の前に、11月25日(月)、日本農業遺産の審査員が現地視察に朝来市を訪れました。岩津ねぎの日本農業遺産認定は、伝統的な農業を次世代に引き継ぐだけでなく、地域の自然や文化の保全にも大きく貢献します。また、その価値を全国に発信することで、持続可能な農業の普及と地域の活性化を推進する重要な一歩となります。
○日本農業遺産とは
その地域で長年にわたり受け継がれてきた農業の方法や考え方を守り、次世代へと伝えることを目的とした制度のこと。全国では24地域(令和5年1月現在)が選定されています。
■未来へつなぐ私たちの冬の風物詩
江戸時代後期から今日現在まで、およそ200年もの歴史が根付く岩津ねぎ。その歩みの中で絶滅の危機に瀕するなど、幾多の困難を乗り越えてきました。
現在も地域の特産物として生産が続いているのは、「この土地ならではの誇りを自らの手で守り抜く」という強い想いが、時代を超えて紡がれてきたからではないでしょうか。
今や、岩津ねぎは冬の風物詩として、市民の日常に溶け込むほど、当たり前の存在となりました。しかし、その「当たり前」に目にする風景の裏には、多くの人々の想いが込められています。今回の特集が、岩津ねぎを日常で目にできていることの尊さを再発見するきっかけとなれば幸いです。
また、世代や立場を超えて多くの人々が岩津ねぎに関わり、それぞれの想いと行動によって、長い歴史を未来へと紡ごうとしています。私たち市民にできることは、その想いが詰まった岩津ねぎを味わい、大切にいただくこと。それこそが朝来市の特産物である岩津ねぎの価値を守り、未来へ、そして次世代につなぐことができると、信じています。
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