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〔コラム〕忠臣蔵の散歩道(53)

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兵庫県赤穂市

■次代の潮流に抗(あらが)ってでも「忠臣蔵」を次の世代へ
「最近の若者は『忠臣蔵』を知らない――」。
近年、年末が近づくと、SNSなどのインターネット上で、年配者が書き込んだと思しきそうした嘆きの言葉をよく目にするようになりました。
以前は「忠臣蔵」といえば日本人の「国民的教養」といえるほど、老若男女を問わず誰でも多少の知識はありました。ただ、昨今はそうでもなくなっているのです。「忠臣蔵」の物語どころか、その読み方すら分からない若者も少なからずいます。
ただ、それもそのはずだったりします。と言いますのも、映画では約30年、テレビドラマでも約10年近く、本格的な「忠臣蔵」作品は作られていないからです。日常的に気軽に触れる機会が無くなれば、その存在を認識できなくなるのも当然です。
筆者は1977年生まれですが、80年代の半ばから90年代にかけては毎年のように年末年始に「忠臣蔵」を扱ったテレビ時代劇が放送されていました。そのため、たとえ作品自体を観ていなくとも、放送を告知するコマーシャルや新聞記事などで目にする機会があったため、筆者と同年代くらいまでは「なんとなく」のレベルででも「忠臣蔵」を意識することはできていました。
その環境がないから当然のことには違いない――とはいえ、そこで諦めてしまうと、このまま「忠臣蔵」は廃(すた)れ、やがて消えていってしまいます。それは、あまりに惜(お)しい。「日本人の精神」とかそうした高邁(こうまい)な話とは別に、大衆娯楽として受け継ぐべき魅力に満ちているからです。
そこで、筆者は近年、著述や講演やメディア出演などを通じ、「忠臣蔵」の魅力を発信し続けることにしました。その際は、小難しい話は抜きに「エンターテインメントとして、こんなにも楽しい」ということを伝えるようにしています。と言いますのも、筆者自身が精神性云々ではなくエンターテインメントとして「忠臣蔵」を心底から楽しんできたためです。そうした活動は、2022年に刊行された『忠臣蔵入門映像で読み解く物語の魅力』(角川新書)という著書という形に結実しております。
こうした活動に勤(いそ)しむようになった背景には、筆者が「師」と敬う方の存在があります。その方は、能村(のむら)庸一(よういち)さん。かつてフジテレビで『鬼平犯科帳』『御家人斬九郎』『剣客商売』など、多くの名作時代劇を作ってこられた大プロデューサーです。筆者は大学院生時代に能村さんの知己を得て、京都の時代劇撮影現場を取材させていただいたことをキッカケに「時代劇研究家」として生きることになりました。
能村さんからは、時代劇に関してさまざまなことを教わりました。「忠臣蔵」もそうです。
能村さんは90年代に仲代(なかだい)達矢(たつや)主演版と北大路(きたおおじ)欣也(きんや)主演版、2本の「忠臣蔵」を作られました。当時は、手段を選ばない策士として大石内蔵助を描いた映画『四十七人の刺客』や、「大石は本心では討ち入りをしたくなかった」という解釈のビートたけし版『忠臣蔵』と、新解釈の忠臣蔵が作られていました。
それに対する能村さんの2本は、昔ながらの定番の物語を踏襲した内容でした。「『忠臣蔵』はオーソドックスに尽きる」それが、能村さんの確たる考えでした。そして、「このままでは正統な『忠臣蔵』を作れるスタッフも、演じられる役者も、理解できる視聴者もいなくなるのでは」という危惧の下、この2本を作られたのです。当時としては既に「古臭い」という作りではありましたが、新解釈の2本よりも評判は良く、視聴率も上々でした。そして、2000年代に制作された「忠臣蔵」のテレビドラマの多くは、こうした現場で育ったスタッフや俳優たちが支えることになったのです。
残念ながら、現状は能村さんの危惧した通りになってしまっています。能村さんの「忠臣蔵」に込めてきた想いを間近に見聞きしながら過ごしてきました筆者としては、時代の潮流に抗(あらが)ってでも、能村さんの思想を受け継ぎ、次世代に繋げたい――そのような意識で活動を続けています。それはどこか、元禄という時代に抗った赤穂義士たちに通じるものがあるかもしれないな、と秘かに思っていたりもします。
(時代劇研究家 春日(かすが)太一(たいち))

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