■ハチ高原と阪本勝県知事
昭和36年11月10日、兵庫県知事阪本勝氏は企画・総務・農林の部長と共に鉢伏高原を視察し、関宮町長の井上毅義氏から説明を受けました。
阪本知事は「スキー場としても国際的なスケールだ。鉢伏という名は呼びにくい。ハチがいい。鉢高原と呼ぶことにしたい」「白樺を三万本植えて日本の名所にしよう」と夢を語り、ハチ高原の名付け親になりました(『関宮町広報』第48号)。
翌月には兵庫県総合開発課に鉢伏開発係を設置し、昭和37年度の兵庫県重点施策として「氷ノ山鉢伏山山麓開発5ヶ年計画」、5億4千4百万円の事業を立ち上げました。鉢伏には、リフト、夜間照明、キャンプ場を建設し、大久保・丹戸・別宮・葛畑にスキー場を整備、轟には高原野菜の畑を開発し、道路を整備する大事業です。
昭和44年、ハチ高原は「氷ノ山後山那岐山国定公園」に指定されました。昭和46年には関宮町立鉢伏高原管理センターと駐車場が完成し、約35万人がスキーに訪れました。昭和52年には夏のキャンプや登山に約15万人が訪れる野外活動拠点に発展しました。
ハチ高原には民宿や体育館が整備され、白樺が茂っています。「山万丈、川千里」と歌われる、兵庫県を代表する大自然が広がっています。
(教育委員会歴史文化財課)
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