■一円電車と勝部郁男氏
明延鉱山の本部から神子畑選鉱場まで鉱石を運搬した鉱山鉄道が明神電車です。昭和20年から昭和60年までは乗客を乗せる専用の電車を運行しました。昭和36年には1日6往復を運行し、一円電車と呼ばれました。
明延憩いの家に展示されているのが電車の白金号です。ボンネットが前後に飛び出した凸形で、直流電圧500ボルトのモーターで走行しました。速力は12キロ、5馬力、定員6人、昭和27年の製造です。
明延の体験乗車会で運行されているのが客車くろがね号です。昭和25年12月三菱鉱業(株)社長の羽仁路之氏の視察のために製造された特別の客車で定員23人です。
これらの車両は勝部郁男氏の設計です。勝部氏は昭和22年に東京帝国大学工学部機械科を卒業して三菱鉱業(株)に入社。翌年5月から昭和27年3月まで明延鉱業所に勤務して車両を設計しました。
その後、尾去沢鉱業所や直島製錬所に勤務し、昭和50年三菱金属(株)(現三菱マテリアル(株))取締役に就任。昭和57年大手興産(株)(現三菱マテリアルテクノ(株))社長に就任して活躍されました。
明延鉱山の一円電車は日本遺産に認定され、さらに現在は兵庫県指定文化財です。勝部氏は明延鉱山「一円電車の父」と呼ばれています。
(教育委員会歴史文化財課)
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