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まちの文化財(233)

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兵庫県養父市

■明延錫(すず)鉱山と平林武博士
明延鉱山の錫は、いつだれが発見したのでしょう。農商務省鉱山局が作成した年報には「三菱合資会社、生野鉱山明延坑は近年錫鉱の産出をもって、その名、最も顕著となれり。鉱区内には無数の露頭あり」と書かれています(『本邦鉱業ノ趨勢』、明治45年・大正元年版大屋町史より)。そして大正4年の年報から生野鉱山から独立して明延鉱山と明記されています。
三菱金属鉱業(株)明延鉱業所が発行した三菱明延という新聞があります。昭和34年1月20日発行の第138号に、日鉄鉱業(株)常務の山口六平氏の報告があります。
大正14年、恩師の東京帝国大学教授平林武博士に質問をしたところ「明延の錫は、ぼくの発見だと世間ではいっているが、ぼくと渡辺渡先生との共同発見だ。当時、ズリとして捨てられていた低品位の亜鉛鉱の中に、錫石と思われる鉱石があったので大学に持ち帰った。渡辺先生と共に顕微鏡検査により重石と共存する錫石であることがわかった。その日は明治42年4月27日だ」。
渡辺渡博士は明治19年から大正7年まで東京帝国大学教授を務める一方、佐渡鉱山局技師や農商務省鉱山局長を兼務して活躍した人物です。
明延の錫は明治42年に東京帝国大学の平林研究室で発見され、日本最大の錫鉱山へと発展しました。
(教育委員会歴史文化財課)

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