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まちの文化財(238)

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兵庫県養父市

■盛谷観良(かんりょう)と守本恵観(けいかん)
江戸時代中期、全国に普及した庶民教育に心学があります。石田梅岩(ばいがん)や門人の手島堵庵(とあん)によって広まりました。手島の門人である太田垣猶川(ゆうせん)が天明5年(1785)に関宮村に設立した敬忠舎が但馬で最初の心学講舎です。猶川に学んだ西村潜堂(せんどう)は、八鹿村に立誠舎を設立しました。
明治初期、三谷村の盛谷観良が自宅に心学講舎である信誠社を開きました。絵を入れた解説文(施印)を版木に彫って印刷し、弟子たちに配りました。門弟は建屋村から広谷村に広がって1000人を超えました。生涯にわたって心学道話を講じて明治31年に没しました。
船谷村出身の守本恵観は明治13年京都府知事の認可を受けて京都に信行社を設立しました。その弟子が盛谷観良です。京都の信行社が本社、信誠社は兵庫県の支社という関係でした。守本恵観は京都・東京・静岡・滋賀・兵庫(三谷村)等に支社を置き、門弟は5000人とも言われました(『養父町史第一巻』)。
池山の厳島神社に石を組み合わせて作った高さ260センチの頌徳碑があります。正面には「信行社長守本恵観先生、信誠社長盛谷観良先生」と刻んでいます。観良の門弟である盛谷盛三良(もりさぶろう)と宮垣健一良(けんいちろう)が建立しました。養父市の隠れた成人教育の足跡です。
(教育委員会歴史文化財課)

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