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まちの文化財(244)

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兵庫県養父市

■八木町の大火
下八木にある八木城交流館前の道路には、石垣の基礎の上にコンクリート製の祠を置いた小さな愛宕社があります。また、約460m離れた中八木の道路の端にも愛宕社があります。この二つの社はなぜか、一対の社として建っています。
「須田庄風土記(すだのしょうふどき)」(『関宮町史資料集第3巻』85頁)には「其の翌年は、辻堂の前より又火事起こりぬ。頃は寛永十八年(1641)三月三日の夜半、春風樹をきり、平地の渕水は雲に上がり、草屋火となり天をこがす。あたり三町は一時の煙となりぬ。(略)先年谷川の大火に、背なか焼けさせ給う薬師如来と云はせ給い、西方寺の本尊と並びて座す。いまだ末世ならずと観じける」と記録されています。
測量に訪れた伊能忠敬の『測量日記』、文化11年(1814)1月13日に「下八木村家数八十六軒、中八木村同四十五軒、上八木村同四十二軒、合三ケ村、町並人家続き、惣名八木町と云ふ、合百七十三軒」の記録があります。
寛永17年に谷川(今滝寺川)の薬師堂付近が焼け、翌年には強風で三町(約330m)にわたって百軒ほどの家が全焼した。この大火の後に火伏の神様である愛宕社が祀られたようです。
愛宕社を祀ることで、防災の大切さが現在まで受け継がれています。
(教育委員会歴史文化財課)

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