明治29年会津若松の経済人高瀬喜左衛門ら同志8名が原野貸付の許可を得て拓いた若松地区を、9月25日に高瀬家15代目の淳氏((株)白木屋漆器店代表取締役)が訪問されました。
高瀬家11~13代が不在地主として経営に加わり、平成7年の若松開基百年記念式典には14代目で元会津若松市長の高瀬喜左衛門氏が旧地主代表として参列し祝辞を述べております。
高瀬家と若松山法覚寺は吉武是正師の時代から特別なご縁があり、吉武文知前住職と数代につながる交流の歴史に話が弾みました。
祖の松では、開拓当初から組合の農場管理に当たった笹原倉次郎氏の孫で若松地区在住の板垣洋子さんと偶然に出会い、その場で固い握手を交わされていました。
会津藩士の丹羽五郎が開拓した丹羽地区では、白虎隊玉川遙拝所や丹羽家邸内であった晩翠の森公園を視察。この晩翠の森には、丹羽家3代宗能が元禄時代に会津若松柳原に修景した攬勝亭庭園を擬し、会津と先祖を偲び村民の協力で造成したものが含まれています。現在は丹羽家邸内とともに町の公園として管理しています。
これまで会津若松市の攬勝亭庭園の保存活動に長年取り組まれた高瀬淳氏は、叶わなかった存続を惜しまれるかのように、晩翠の森公園でしばし佇まれていました。
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