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余市町でおこったこんな話

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北海道余市町

余市町の埋もれた歴史等を紹介し、改めて余市町を再認識するコーナーです。

~その231~『黒川小学校』

今年開校120周年を迎える黒川小学校の前身は余市高等小学校という名称で、浜中町511番地(当時)にありました。開校は明治36(1903)年のことで、修業年限は4年、児童数は7学級で343名でした(『余市文教発達史戦後編』)。
同校は明治41年に余市尋常高等小学校となり、翌42年に大川尋常高等小学校山田分教場が、余市尋常高等小学校に所属変更になりました(山田文教場は明治39年に大川尋常小学校の山田分教場として開校)。
「こんな話その62」で紹介した日進館は、黒川町のニッカ池の近く、開村記念碑の向かい側にあって、やがて碑の側に移転して黒川郷学所と改称、同年6月には開拓使浜中出張所の役人住宅が開放され、沢町方面にあった他の寺子屋が合併して浜中村で余市仮郷学所となりました(名称はその後、変更)。
学校は浜中村(当時)にあって、沢町と大川町の小学校からの尋常小学校の児童の進学希望者を集めていたので、中央校と呼ばれていました。
校舎が狭く、昭和9(1934)年頃から移転改築の声はありましたが、現在の道の駅付近に新校舎が完成したのは戦後の同21年で、翌22年には余市町立黒川小学校の名称になりました。
この年の町内の学校は、小学校では黒川、沢町、大川、登、畚部(ふごっぺ、栄町)、山道(豊丘町)、桜ケ丘(豊丘町)、出足平(白岩町)、島泊(潮見町)、沖(豊浜)の10校、中学校は東と西の2校、高校は余市、余市高女の2校(やがて合併)でした。
昭和8年当時の余市尋常高等小学校は、職員が13名、児童は男子210名、女子210名、高等科女子169名の合計589名で、分教場は職員が2名、男子29名、女子37名の合計66名を数えました。保護者会は430名で、学校行事の補助、校地拡張、学校と家庭の連絡を担当していました。
児童数は段々と増えて、昭和50年代には、児童数が1,000名を超えるようなります(昭和55年当時は1,019名)。
時代は下って平成4(1992)年、学校正門の花壇にニュートンのリンゴが植樹されました。品種は「ケントの花」という料理用のリンゴで、小さな実は酸っぱく、水分が抜けてボケやすく、熟する前に落ちてしまう品種と言われていて、万有引力を発見するには向いていたのかもしれません。
このリンゴの木は、イギリスの国立物理研究所に保存されていましたが、その苗木が日本に贈られたのは昭和40年のこと。その後、東京大学の柴田雄次名誉教授が、その苗木を譲り受けましたが、最初は隔離栽培されていました。病気にかかっていたために、すぐには移植できなかったものと思われます。
北海道では、札幌市内の地下鉄北12条駅の近くに記念樹が植えられています。また深川市が記念樹として栽培することを計画し、北大農学部経由で同57年3月に苗木が贈られました。黒川小学校のニュートンの木は、深川市で育てられていた苗木をいただいたものでした。
明治時代、開拓使から配布されたリンゴの苗木が実を結び、ほどなくして町内の各地域に広まって余市町の特産になりましたが、町内におけるリンゴ栽培のはじまりは、黒川と山田の両地区でした。平成4年の宇宙飛行士毛利さんの宇宙授業で使われたリンゴは、昔から食べられていた、「旭」というリンゴでした。

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