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余市町でおこったこんな話

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北海道余市町

余市町の埋もれた歴史等を紹介し、改めて余市町を再認識するコーナーです。

~その232~『沢町小学校150周年』

沢町小学校の開校150周年記念式典が先日、行われました。式典がはじまって間もなく校歌斉唱があり、「日本海の荒潮に育ちし夢と力もて~」の歌声が体育館に響きました。校歌の作詞は更科源蔵さん、作曲が筒井秀武さんです。
作詞者の更科源蔵さんは、川上郡弟子屈町と同郡標茶町とにまたがる熊牛原野に明治37(1904)年に生まれ、東京麻布獣医畜産学校(現在の麻生大学)に入学後(後に病気などで中退)、詩作をはじめます。地元で代用教員として短期間働いた後、札幌市に転居し、詩作とアイヌ文化研究を続け、北海学園大学教授となりました。
開校120周年を迎えた平成5(1993)年当時の記念誌を見ると、沢小の野球、サッカー、クロスカントリーの各少年団や鼓笛隊が元気に活動していたことが伝わってきます。
「特にトランペットを希望する子ども達については、毎日始業時前十分間先輩から音を出すための練習そして音階練習へと進む、父母からは難しいのではないかと云われた事もあったが、数カ月で簡単に曲が吹ける様になり子ども達も自信を持つようになる。」
(沢町小学校特別鼓笛隊)
「(この年に)Jリーグがスタートして以来、日本中がサッカー熱でわき立っています。わが沢小にもその熱が伝わってきたようにサッカー少年団に入団希望する子が次から次へと出てきました。」
(同校サッカー少年団)
「雪が積もってグランドコンディションがよくなるまでは体育館でトレーニングを行います。雪上で練習ができるのは例年正月前後となりますので、冬休み中の練習が体力づくりやスキー技能向上のための大切な期間となります。そのため練習もほとんど毎日のように行っています。」
(同校クロスカントリー少年団)
野球少年団は昭和54年に結成され、この年は15年目を迎えています。4年生以上の21名の団員の「スポーツの中で、野球が一番好き!」などのひとことが並んでいます。
記念誌には野球少年の思い出も掲載されています。
「特に恩師大林敏男先生との小学五年生から六年生の時が一番印象に残っています。当時まだ子供達の間では野球はキャッチボール程度でした。道路で遊んでは窓ガラスを壊してよく怒られた記憶があります。(…中略…)(大林先生に)練習方法、バッティング、チームプレイなど、理論的・体験的に教えてもらいました。その時いつも先生は“かりんとう”をごちそうしてくださいました。その頃の重さで百から二百匁(現在の四百から八百グラム)の“かりんとう”をみんなで競って食べました。空腹で疲れた僕達にとって、この上ないごちそうでした。」
(昭和33年度卒業生)
昭和13年度卒業生の心に焼きついている風景です。
「学校前の菅野のばあさんの文房具屋、板壁に映画、芝居民謡のビラが貼られた家、奉安殿の周りの桜の木、下水、大八車のわだちに雨水がたまった道、宝隆寺前の三叉路のポプラ(…中略…)校舎内の印象は、水産試験場の水道を使わせてもらった洗い場、中庭の北海道池や藤棚郷土室(色々な展示物の中にビート糖が入ったガラス管があり、指でなめったりして恩恵にあずかった)、暗い渡廊下を男女別に仕切っていた便所、墓地跡で白い蛇が出たとか幼い私たちの肝を冷やすミステリー的な噂のあった陰気くさい場所でした。(…中略…)予習教育が盛んな時で、放課後残って勉強しました。六年生後半になると二食分の弁当を持っての奮闘振りです。でもそれは子どものこと、遊びたい盛りの気持ちは溢れていました。」
(「余市の沢を名に負いて」)

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